イギリス映画談
一人の主婦が見つけた新しいリチャード三世『ロスト・キング 500年越しの運命』

2023年9月22日公開

エディンバラ城の下の公園で、リチャード三世の本を読むフィリッパ・ラングレー
エディンバラ城の下の公園で、リチャード三世の本を読むフィリッパ・ラングレー
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リチャード三世と言えば

英国王室の歴代の王の中でも名前が知られているという点で考えると、リチャード三世はかなり上位、最近の方々を外すとすれば、ひょっとすると一位になるかもしれない。15世紀の後半に2年2カ月弱の在位期間で戦死してしまった国王が、ここまで有名になったのはひとえにシェークスピアによると言ってもいいだろう。

兜をまとい戦場に立つリチャード三世
戦場でのリチャード三世
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複数の戯曲にリチャード三世を登場させているが、勿論、主人公として登場させている正式名「リチャード三世の悲劇」、通称「リチャード三世」による力が大きい。リチャード三世は、国王だった自分の兄エドワード四世が病死すると、その12歳の息子エドワード五世の摂政に就任した。暫くすると、エドワード四世の結婚は無効だったとされ、エドワード五世とその弟は庶子としてロンドン塔に幽閉され、その後行方不明になってしまう。そして議会に推挙されてリチャード三世がイングランド王として即位することになった。
こうした国王を巡る権力争いでのリチャード三世の悪役的な動きに加え、シェークスピアはリチャード三世の身体的特徴として、背中にこぶ(脊柱後湾症)があり、左右の足の長さが違うと描写している。正に悪役に似合った外観を描く事で悪役ぶりを強く印象付けたのだ。

戦場で馬上のリチャード三世に遭遇するフィリッパのシーン
ボズワースの戦いのリチャード三世とフィリッパ
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リチャード三世が戦死したのは、彼が所属するヨーク派と敵対するヘンリー・テューダーがフランスから侵入して来て行われたボズワースの戦いでの戦闘中であった。味方の裏切りに遭い国王が亡くなり、この戦いを境に、ヨーク朝からテューダー朝に政権交代していく。ヘンリー・テューダーはイングランド国王ヘンリー七世となっていく。

歴史は時の権力者によって解釈、あるいは変更される

1485年リチャード三世が戦死してから、約80年後の1564年にウィリアム・シェ-クスピアが生まれている。リチャード三世のヨーク朝から、対立していたテューダー朝の時代に変わっていた。テューダー朝の権力者は、ヨーク朝のことを批判的に悪く言うようになっていた。そうした時代にあって、シェークスピアはリチャード三世を悪役として書き上げたようだ。
シェークスピアがそうしたリチャード三世像を描いたのは、その前に書かれたものの影響があり、中でも有名なものはトマス・モアの「リチャード三世史」だという。このあたりの情報は、講談社ブルーバックス「王家の遺伝子」に詳しい。

大学の教室で行われているリチャード三世の講義で手を挙げるフィリッパ
大学でのリチャード三世の講義で手を挙げるフィリッパ
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リチャード三世の墓、遺骨は何処に?

ボズワースで落命したリチャード三世の遺体は、20キロほど東にあったレスターの街のグレイフライアーズ修道院(教会)に運ばれ埋葬されたという。しかし、この教会は後の国王ヘンリー八世の宗教改革により解体され、遺体は勿論、墓の位置さえ分からなくなってしまう。こうしてリチャード三世の遺体(遺骨)を検証することができなくなっていた。シェークスピアによって書かれた醜悪な姿が本当か否か調べることはできなくなって500年以上が経ってしまった。

エディンバラの主婦が舞台の「リチャード三世」に出会う

エディンバラに住むフィリッパ・ラングレーは別居中ながら、仲は悪くない夫ジョンと息子の子育ても分担しながら働いていた。

石畳の通りを歩くジョンとフィリッパ
今は別居中のジョンとフィリッパ
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持病の筋痛性脊髄炎をものともせず頑張っている仕事だったが、所長が次のプロジェクトに若い女性社員の案を採用して落ち込んでいた。気分転換に、息子と一緒に「リチャード三世」の舞台を見に行く。そこで、この悪者リチャード三世に興味を持ち、何冊もの関連書物を買って調べ始めるのだった。

リチャード三世の舞台を観るフィリッパと息子
息子と一緒に舞台「リチャード三世」を見るフィリッパ
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特にせむし男(脊柱後湾症)として書かれているのは本当なのか、自身の持病もあり遺骨を見つけて確かめたいと思ったのだろうか?
リチャード三世の真実を知りたいと思ったフィリッパは、会社を無断欠勤しつつ、「リチャード三世協会」(こういう組織があるんですね)に入会したり、列車で5時間近くもかかるレスターまで出かけて、今はないグレイフライアーズ教会の跡地を調べたりするのだった。

事実に基づいて作られた映画『ロスト・キング 500年越しの運命』

映画は実話に基づいて作られている。その事実とは、2012年9月12日にリチャード三世の可能性がある遺骨発見が公表され、2013年2月3日に遺骨のDNAがリチャード三世の子孫のDNAと一致することが判明、翌2月4日には遺骨はリチャード三世のものとレスター大学が記者会見で明言するとなる。

遺骨の発掘現場でマイクを向けられるフィリッパ
遺骨が見つかった現場でインタビューに答えるフィリッパ
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ブルーバックス「王家の遺伝子」にもこのことが、”驚くべきニュースが世界を駆け巡った”と書かれている。しかし、この本にはフィリッパ・ラングレーという主婦の事は書かれていない。

チャード三世がフィリッパの前に現れるシーン
時に彼女の前に現れるリチャード三世とフィリッパ
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フィリッパ・ラングレーを主人公に映画は作られている。演じているのはサリー・ホーキンス、ロンドン出身の女優。王立演劇学校を卒業して舞台女優からスタート、2002年に映画デビュー、ちょっと病弱(?)というか、影のある役が得意。ウディ・アレン監督の「ブルージャスミン」、「パディントン」シリーズのブラウン夫人役、「スペンサー、ダイアナの決意」ではダイアナを見守る衣装係を演じていた。
別居中でも仲の良いフィリッパの夫を演じているのはスティーヴ・クーガン、マンチェスターの出身だ。この映画では、製作、脚本の担当もしていてその多才ぶりを見せている。
映画を監督したのはスティーヴン・フリアーズ、映画の舞台でもあったレスター出身。現在82歳の大ベテラン、多彩な作品を送り出しているが、王室関係では「クイーン」(2006年)、「ヴィクリア女王 最期の秘密」(2017年)を監督している。

リチャード三世は本当に脊柱後湾症だったのか?それを確認するだけでもこの映画は見る価値がありますと、脊柱側弯症の私は保証します。人類史上最速のスプリンターと呼ばれたジャマイカのウサイン・ボルトも脊柱側弯症であることをご存知でしょうか?

公式サイト:https://culture-pub.jp/lostking/

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