イギリス映画談
『Peter Barakan’s Music Film Festival』ピーター・バラカンの音楽映画祭 Part1

興味のある方はお急ぎください!映画祭は東京では7月2日~15日で開催中。

イギリス出身のブロードキャスター『ピーター・バラカン』

ピーター・バラカンさんのサイト情報では、彼は1951年ロンドン生まれのイギリス人で、ロンドン大学日本学科を卒業した後1974年に来日。シンコー・ミュージック国際部に入社し、著作権関係の仕事に従事した。1980年には退社し、執筆活動、ラジオ番組出演などを行っている。
1980年にはイエロー・マジック・オーケストラのマネジメント事務所に転職、YMOの国外コーディネート、楽曲の英補作詞などを担当。坂本龍一が「戦場のメリークリスマス」に出演した時はラロトンガ島での撮影に同行し、酒場でデヴィッド・ボウイに遭遇している。
ラジオやテレビの出演もあり、勿論音楽について書かれたものも多く、バラカンさんをご存知の方は多いはず。

Peter Barakan’s Music Film Festival

ピーターバラカンのミュージックフェスティバル ポスター

ピーター・バラカンの音楽映画祭は、バラカンさんが選んだ音楽映画、まとめて14本を上映する映画祭だ。
7月2日(金)~7月15日(木) 東京 角川シネマ有楽町
8月6日(金)~8月19日(木) 京都 京都みなみ会館、 アップリンク京都
(京都での開催は最近決定したようで、7月4日時点ではまだ詳細が発表されていない)

製作国ごとに作品をご案内。
※題名の後ろの( )内は製作年度

<イギリス> 5本
Billie ビリー
(2019):ビリー・ホリデイの未発表インタビュー等のドキュメンタリー
AMY エイミー(2015):27歳で亡くなった歌手エイミー・ワインハウスのドキュメント
マイ・ジェネレーション(2018):1960年代半ば、スウィンギング・ロンドンを描く
ノーザン・ソウル(2014):1970年代イングランド北部の工業都市でのダンスシーンを
白い暴動(2019):1970年代後半イギリスのネオナチ集団に対抗するロックコンサート

<アメリカ> 5本
ジャズ・ロフト(2015):写真家ユージーン・スミスが残した写真や録音テープを使って
真夏の夜のジャズ(1959):1958年のニューポート・ジャズ・フェスの伝説のコンサート
カマシ・ワシントン「Becoming」ライブ(2020):LAハリウッド・ボウルでの演奏会
バックコーラスの歌姫(ディーバ)たち(2013):ロック・スターのバックで歌った女性たちの記録
Our Latin Thing(1972):サルサ界の大物バンド、ファニア・オール・スターズの記録

<カナダ> 1本
ランブル(2017):ネイティヴ・アメリカンがアメリカポピュラー音楽界に与えた影響

<オーストラリア/台湾> 1本
大海原のソングライン(2019):太平洋とインド洋の島々の様々な音楽。おススメです

<日本> 1本
スケッチ・オブ・ミャーク(2011):沖縄民謡と違う宮古島(ミャーク)の唄の世界

<グリーンランド/デンマーク/ノルウェー> 1本
サウンド・オブ・レボリューション(2014):70年代初めグリーンランド先住民のロック

東京会場ではバラカンさんやゲストが登壇してのトークイベントも11回ほど予定されている。上映作品の紹介、上映スケジュール、トークイベント等の情報は次のサイトで確認いただきたい。 https://pbmff.jp

Billie ビリー

映画ビリー ポスター

7月2日の初日、初めに上映された「Billie ビリー」を見てきたので、上映後のバラカンさんのトークショーで聞いたことも含めてご紹介したい。
1915~1959年の44年間で生涯を閉じたビリー・ホリデイ、ジャズ歌手と知ってはいたし、1972年に彼女の自伝を基に作られた映画「ビリー・ホリデイ物語/奇妙な果実」も見ているが、彼女自身が歌う映像を見るのは初めてだった。
アメリカ人の彼女についてのドキュメンタリーを作ったのはイギリス人の監督、ジェームズ・エルスキン。イギリスの会社で制作が認められると、彼はすぐにアメリカに渡り、彼女についての情報を集めはじめる。そこでビリーについて取材を続けていた若い女性ジャーナリスト、リンダ・リブナック・キュールがいたことを知る。彼女は1977年に亡くなっていたが、亡くなる前10年間にわたって多くの関係者にインタビューし、ビリーの伝記を書こうとしていた。彼女が残した200時間以上の録音テープが発見され、その情報とビリーの貴重な映像を使って映画が作り上げられた。

映画ビリーのシーン
Carl Van Vechten photographs/Beinecke Library  ©Van Vechten Trust / REP Documentary

ビリーの映像は白黒でしか残っていなかったが、最新の技術で、しかもその第一人者に依頼してカラー映像に変換している。言われなければ変換したものだとは気付かないほど自然な色でビリーに会うことができるのだ。
10代前半で暴行され、更に彼女自身が体を売るようになる。それが当然、普通という会話が聞こえてくる。それほどに貧しく、そうしなければ生きていけない環境だったのだ。23歳のとき彼女が歌い、代表曲ともなった「奇妙な果実」は若い白人男性が作詞作曲したものだが、それを彼女は歌いレパートリーに加える。1939年という時代を考えれば、人種差別に対するプロテストソングとして、いかに時代に先んじていたかが分かる。
多くの男性・女性との関係も描かれ、映画関係ではオーソン・ウェルズ、タルラー・バンクヘッド(1902年生まれの大女優)の名前が出てくる。アルコール、ドラッグを多くの男性から教えられ、命を縮めてしまう。


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AMY エイミー

7月2日には「Billie ビリー」に続き、「AMY エイミー」も鑑賞した。
残念ながら映画の鑑賞前、私はエイミー・ワインハウスというイギリスの歌手を知らなかった。1983年、ユダヤ系家庭に生まれ、10代でレコード会社と契約し、20歳でデビューアルバム「Frank」を発表した。セカンドアルバム「Back to Black」が全世界1,200万枚のセールスで、シングル「Rehab」も大ヒットし2008年のグラミー賞で5部門の受賞を成し遂げた若き天才シンガーである。
この映画は、彼女が2011年に27歳で亡くなるまでを追ったドキュメンタリーだ。

映画エイミーのシーン
©2015 Universal Music Operations Limited
©Rex Features

バラカンさんが、「Billie ビリー」上映後のトークショーで、「エイミーと共通する点が多いですね、ダメ男にかかわって、ドラッグやアルコールを教えられて・・・」と話されていた。確かに!
エイミー・ワインハウスの凄い実力は確認できた。単なるロックではない。彼女自身がジャズを好きで幼いころから聞いていたようだ。それが身についている。だから何を歌おうとジャズになる。声量も凄い。
彼女の派手なメイク、特に髪型、いれずみ(なぜ女性の?)、衣装のセンスなど何故?と聞き返したくなるものだったのだが、大スターほどダサい部分があるという真実があまりに当てはまってしまう。
周りにまともな人が付いていれば、まだ彼女の歌を聞けていたかもしれないと思うと、残念!
監督はロンドン生まれのインド人、アシフ・カパディア。
この作品はアカデミー賞で長編ドキュメンタリー賞を受賞している。


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