美術家ソブエヒデユキの湖水地方のらりくらり Vol.1

湖水地方南端の街に暮らし始めて

ハンプスフェルの丘より望むグレインジ・オーバー・サンズの街並み
ハンプスフェルの丘より望むグレインジ・オーバー・サンズの街並み

ここ湖水地方南端の町グレインジ・オーバー・サンズに暮らし始めて、早いもので15年。こちらに拠点を移した頃は、子供たちも小学校低学年で英語もままならず、クラスに馴染んで英語で話し出すまでに半年かかったものですが、学年も上がる頃には地元のランカスター訛りで流暢に話し、家庭内では、妻が日本語ペラペラのイギリス人なんですが、すっかり英語で会話するようになっていました。ボクはといえば、“日本語で話そうキャンペーン”推進委員長(!)として、家族のうちで孤高奮闘していました。日本語というのは聞き取りや会話よりも読み書きが大変で、幼かった子供たちに同学年の国語の教科書や学習帳などを取り寄せて一緒に学習する時間を作っていましたが、ボクはボクで新天地で美術家として活動を展開してゆくのに試行錯誤中、子供たちも英語で授業についていくのに必死で、やがて日本語学習会は灯火が消えるように幕を閉じてしまいました。けれど、子供たちとは今でも日本語で話すようにしていて、“日本語で話そうキャンペーン”は少なからず実を結んだものと、密かに喜んでいるのです。ちなみに、ボクの英語はいまだに中級程度で、いやはや子供の言語習得能力の凄さには頭が下がります!とはいえ、母語とは別の第二言語習得の感受性期は脳生理学的には6〜7歳であると言われていますから(註1)、こちらに拠点を移す頃が感受性期ギリギリだったわけです。

グレインジ・オーバー・サンズという町

グレインジ・オーバー・サンズ、モーカム湾を望む眺望
グレインジ・オーバー・サンズ、モーカム湾を望む眺望

さて、ここグレインジ・オーバー・サンズという町は、イギリス最大の干潟で知られるモーカム湾岸に位置し、古くはランカシャー州に属す漁師町でした。中世から19世紀半ばまで、モーカム湾南端に位置するランカスターと湖水地方を結ぶ旅路として、干潮時のモーカム湾を渡る習慣がありました。

モーカム湾、今日のベイウォーク
モーカム湾、今日のベイウォーク(チャリティーイベントとして、毎年シーズンに数回開催)

丘をいくつも越えて湾をぐるりと巡るよりずっと早くて楽だったわけです。しかし、干潮時の砂浜はそこかしこ底無し沼となっていて、それを避けて旅路をゆくのに専属の案内人が欠かせませんでした。“オーバー・サンズ”、つまり“砂浜の上”という町の名は、この古くからの習慣に由来しています。

ベイウォーク歴代案内人で、クイーンズガイド(女王認定ガイド)のセドリックさん
ベイウォーク歴代案内人で、クイーンズガイド(女王認定ガイド)のセドリックさん

ちなみに、古フランス語で穀物倉を意味する“グレインジ”は、モーカム湾北西端のバロウ・イン・ファーネスにあった、カトリックはシトー派のファーネス修道院に穀物などを収める主要な町だったからだそう。1850年代にファーネス鉄道が開通すると、産業革命によって台頭してきた富裕層が、煙る都会の喧騒を離れて休暇を楽しむリゾート地として栄えたといいます。ピーターラビットのおはなしシリーズでお馴染みのビアトリクス・ポターもちょくちょく訪ねてきたようです。町の中心には小さな図書館があるんですが、その所在地はかつて豚小屋でした。それにちなんで、図書館の脇の一方通行の小道はピッグレーン(豚の小道)と呼ばれています。ところで、この豚小屋を所有していたのが、ビアトリクスがよく訪ねていた、この町の最も古い屋敷ハードクラッグ・ホールでした。ここで出会った子豚に着想を得てできたのが『こぶたのピグリン・ブラントのおはなし』だったというのですから、この湖水地方南端の小さな町グレインジ・オーバー・サンズも片隅には置けません。

坂道が多く石造りの階段のある街

ハンプスフェルの丘の出入り口の石造りスタイル
ハンプスフェルの丘の出入り口の石造りスタイル

それにしてもこの町、坂道の多いこと。第二級歴史的建造物に指定されるグレインジ・オーバー・サンズ駅から町の中心へ続くメイン・ストリート、そこからさらにグレインジ・フェル・ロードとかなり急な上り坂を登ってゆくと、ハンプスフェルの丘の入り口にさしかかります。一般道から遊歩道として利用できる農場への出入り口は、スタイルと呼ばれる石造りの狭い階段が設けられていて、家畜が出入りできないようになっています。そのスタイルを越えてハンプスフェルの丘の頂まで一気に登ると、標高わずか220メートルばかりとはいえ、西はモーカム湾をはるかに望み、東にヨークシャーデールの山々、北に湖水地方の山並みを一望できる景観スポットが広がります。晴天時には、愛犬のジョーを連れてこの丘を登るのも日常の楽しみの一つ。

ハンプスフェルの丘より、今は亡き老犬フレディ(黒犬)と愛犬ジョーと一緒に
ハンプスフェルの丘より、今は亡き老犬フレディ(黒犬)と愛犬ジョーと一緒に

画家ソブエヒデユキ 日本人はボク一人

ソブエ作品「Hazy Shade of Winter (Diptych)」
ソブエ作品「Hazy Shade of Winter (Diptych)」

こんな歴史深い静かな町グレインジ・オーバー・サンズに暮らして十数年、しかし、日本人はいまだにボクたった一人!とはいえ、町の住民の皆さんは親切で、“不思議な髪結の東洋人”、あるいは地元有力紙ウェストモーランド・ガゼット紙には美術家としてちょくちょく紹介いただいているので、“妙な東洋系美術家”として知られているふうです。美術には言葉や文化の壁をスイスイと越えてゆく力あり、とつくづく実感している次第なのです。さて、次回はもう少し突っ込んで、美術にまつわるお話をお届けしましょう。どうぞお楽しみに。

註1:『言語の脳科学』第13章「感受性期とは何か 子どもは言語の天才」P.301-302/酒井邦嘉著/中公新書

ソブエヒデユキ

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独自の線描法を駆使して美術の意味を探求し続ける、イギリス湖水地方在住の美術家。イギリスは湖水地方南端の町グレインジ・オーバー・サンズを拠点に世界に窓を開きつ...

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