イギリス映画談 ~第一次世界大戦中、ヨークシャーの小さな町の合唱団を描く『ザ・コラール 希望を紡ぐ歌』
2026年5月15日より公開中
危急の時も多くの人々と一緒に歌うことで気持ちを落ち着け、連帯できることを教えてくれる映画。


©GERONTIUS PRODUCTIONS LIMITED 2025
ヨーロッパ内で始まった世界戦争の時代
映画が始まると、電報を配る若者が多くの家庭に電報を届けるのがしばらく続く。扉を開けて出てくる女性に電報を渡しながら「お悔やみ申し上げます」の言葉をかけていく。時代は1916年と出てくるので、我々は第一次世界大戦の戦死者の連絡だと知ることができる。
当時は多分、世界戦争と呼ばれていた戦争は、1914年に発生したサラエボ事件が引き金となった。サラエボを訪れていたオーストリア=ハンガリー帝国の帝位継承者であるフランツ・フェルディナント大公夫妻が、ユーゴスラビア民族主義者の青年によって暗殺された事件だ。各国は戦争を避けるために尽力したが止めることができず、ヨーロッパ内の国々のそれまでの同盟的つながりから、連合国と中央同盟国に分かれて戦うことになった。基本的にはヨーロッパ内の戦争だが、例えば日英同盟から日本はイギリスが加わっていた連合国側に参加したように、徐々に世界的な戦争となっていった。アメリカが参戦したのは1917年だったので、この映画の当時アメリカ軍は来ていなかった。

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1916年ということは開戦から2年が経っている。イギリスからも多くの志願兵が前線に出向き、さらに戦死者も徐々に増え、町にいる男性が少ない状況になっていた。ちなみにイギリスでは徴兵制が、1916年から始まったらしく、この映画では志願制から徴兵制に変わっていくあたりも描かれている。

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映画の中で人々は期待も込めて、あと半年もすれば戦争も終わるだろうと話している。早く終わってほしいと誰もが思ったのだろう。見ている我々はあと2年続くということを歴史から知っているのだが。そして、2回目の世界戦争が第2次世界大戦と名付けられ、最初の世界戦争が第1次世界大戦と名付けられたことも今では分かっているのだ。

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小さな町の合唱団はいろいろな人の寄せ集め
ヨークシャーの小さな町ラムズデンが舞台。ヨークシャーはイングランド北部にあるカウンティ。イギリスの伝統的な地方区分の「カウンティ」の中でも最大の面積を持ち、日本でいえば岩手県くらいの広さがあるらしい。
小さな町に合唱団があることにちょっと驚く。しかし、戦争が始まって男性が徴兵され男の歌い手だけではなく、指揮者も戦場に行ってしまい、新たな指揮者を探すことになる。合唱団のオーナーでリーダーでもある工場主で市会議員のダックスベリーや写真家のジョー・フィットンたちが決めたのは、ドイツでの指揮経験のある医師ヘンリー・ガスリーだった。

右からピアニストのロバート、写真家フィットン、ガスリー、合唱団オーナーのダックスベリー、ウッドヘッド牧師、葬儀屋トリケット
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しかし必ずしもベストといえる人材ではない。妥協を許さない性格、信仰心も薄く、さらに敵国ドイツで活動していたという過去が団員の間に動揺を引き起こす。
皆が認めるのは彼の音楽に対する情熱だった。すべての団員の一人一人の声を聞き、適切な部署に配置、さらに合唱団を大きくしようと、退役軍人から地元の売春婦ビショップ夫人迄幅広く受け入れていく。

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その中には救世軍でボランティアしている声のいいメアリーや、行方不明の恋人を待ちながらも若い団員エリスとの関係に揺れるベラなどがいた。

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合唱団は不思議なもの、歌が上手くなるにつれ人々の心も前向きとなり力を増していく。
合唱団が歌う曲を作った人

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合唱団が当初歌おうと予定していたのはバッハの「マタイ受難曲」だったが、ガスリーはイギリスの作曲家エドワード・エルガーによるオラトリオ「ゲロンティアスの夢」に変更する。エルガーが32歳で結婚するとき、ウスターの神父からお祝いに贈られたジョン・ヘンリー・ニューマン枢機卿の長編詩「ゲロンティアスの夢」に、エルガー自身が音楽をつけた作品だった。2部からなるこの作品は、瀕死のゲロンティアスが死を迎える不安、恐怖から司祭によって導かれ心の平安を取り戻し旅立つ第1部と、悪魔たちの攻撃を天使の導きによりすり抜け彼の内なるものがすべて浄化される第2部からなる。

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エドワード・エルガーは1857年生まれ、この映画の1916年には生きていて、映画にちょっと変わった人物(?)として登場している。作曲家のほかに、編曲家、指揮者、バイオリニストであった彼は、1924年には国王の音楽教師も務めていた。1934年76歳で没。
作曲家としての作品で最も有名なのは行進曲「威風堂々」ではないだろうか。
エルガーのかなり難しい「ゲロンティアスの夢」を、ガスリーの指導の下での練習を重ね完璧なものにしていく合唱団の人々が描かれる。
この映画で演じた人、この映画を作った人

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ちょっと気難しいヘンリー・ガスリーを演じたのは、イギリスの男優レイフ・ファインズ。本名はRalph Nathaniel Twisleton-Wykeham Fiennes、トワイスルトン・ウィーカム・ファインズ家の人間で、男爵位を継承してきた一族の末裔であるという。1962年生まれの現在63歳。王立演劇学校で舞台俳優としてキャリアをスタート、1988年にはロイヤル・シェイクスピア・カンパニーに参加、1995年にはブロードウェイで「ハムレット」に主演してトニー賞主演男優賞を受賞している。
映画では1992年の「嵐が丘」にヒースクリフ役で主演、次に出た「シンドラーのリスト」での冷酷なSS将校役で一躍有名に。その後は多くの名作(「クイズ・ショウ」「イングリッシュ・ペイシェント」「グランド・ブダペスト・ホテル」「教皇選挙」等)や話題のシリーズ作品(ハリー・ポッターシリーズ5作品、007シリーズ3作品)に出演している。
監督したのはイギリスのニコラス・ハイトナー。1956年生まれの70歳。今作も含め映画監督作は8本ほどだが、活躍の中心は舞台、ドラマが最多だが、オペラ、ミュージカル(「ミス・サイゴン」のロンドン、ニューヨーク公演等)を含め80以上の舞台を演出している。

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公式サイト:https://longride.jp/choral/












