美術家ソブエヒデユキの湖水地方のらりくらり Vol.2
世界遺産イギリス湖水地方
2017年秋に文化的景観部門でユネスコ世界遺産に登録されたイギリス湖水地方。実は、その同じ年の夏に、世界遺産を研究テーマに教鞭を執る某大学教授の案内役を依頼され、一緒に湖水各地を巡ったんです。
その折、世界遺産登録キャンペーン代表を務めていたナショナル・トラストのアレックス・マコスクリーさんから興味深いエピソードを伺いました。
イギリス湖水地方はこれまでに2回、世界遺産登録を申請していて、ユネスコ世界遺産選考委員会で登録基準が定まらず、いずれも見送られてしまった、とのこと。しかし、とアレックスさんは続けました。第2回目申請時に選考を見送られたのち、新たな基準として“文化的景観”部門が新設されたのだ、と。それはまさに、イギリス湖水地方のために設けられた部門だったんですね。
しかし、当の湖水地方、ナショナル・トラストをはじめ、湖水地方国立公園管理委員会、ワイルドライフ・トラストや森林管理協会、他にも様々な環境保護団体があり、代々酪農を営んできた農場経営者たちや伝統産業を守る人々、さらに有力な経済基盤を築いている観光業界など、それぞれ立場が異なることから意見の一致を見ることなく、あれよあれよという間に十数年の歳月が流れてしまったんだそうです。
そして2017年、ようやく再申請に漕ぎ着けたのだ、と。その時、アレックスさんと教授の目がキラリと光るのを、ボクは見逃しませんでした。アレックスさんのオフィスを後にして二人でお茶を交えながら歓談する折、教授は「今回は間違いなし」と太鼓判を押してくれましたが、果たして教授の予告どおり、イギリス湖水地方はその秋、晴れて世界遺産登録成ったのでした。
湖水地方ゆかりの文化人
カナダ、ドイツ、ポーランドなど世界には”湖水地方”と呼ばれる名所が多々あり、それらと区別する意味でイギリス湖水地方(English Lake District)と呼ばれるわけですが、ここからは”イギリス”を省いて単に湖水地方と呼ぶことにします。
ここ湖水地方ゆかりの著名人といえば、日本では、まずピーターラビットの作者で知られるビアトリクス・ポターを思い浮かべる人が圧倒的に多いのでは?ビアトリクスのことは、前回のエピソードでも少し触れましたが、彼女が湖水地方に残した事績は計り知れません。このことについてはまた別の機会にじっくりご紹介するとして、今回は湖水地方の歴史にその名を刻んだ別の文化人、ウィリアム・ワーズワースについて触れてみたいと思います。
日本では山岳信仰が伝統文化に染み込んでいるわけですが、それは山に対する畏怖・畏敬と神道のアミニズムや仏教の密教などが習合して独特の信仰形態として受け継がれてきたもの。一方、なだらかな地形が占めるイングランド(スコットランド、ウェールズ、北アイルランドを除く)では唯一山岳地帯として知られる湖水地方。最高峰スコーフェル・パイク(標高978m)をはじめとする多くの山々と、最深の湖ワストウォーター(水深79m)を含む大小の湖を有する湖水地方は、古来より”峻厳、殺伐、不毛、最果ての地”として恐れられ、人を寄せ付けない地方とみなされていたようです(註1)。
しかし、17世紀にローマで活躍した風景画の巨匠クロード・ロランの理想郷的な自然美を称える神話・聖書主題の作品が、18〜19世紀に富裕層を中心にイギリスで大流行、絵画はもちろん、自然を謳った詩から風景庭園、建築まで広範に影響を及ぼすに至ります。1820年までには、ロランの全作品の半数を超える、およそ300点のコレクションがイギリスにあったといわれるほど(註2)!
さらに、18世紀後半から紀行文学や自然鑑賞のための案内書などの出版が流行し、理想的景観美を求めて湖水地方、スコットランド、ウェールズなどを訪れる人々が増え始めます。その中には、“明日のロラン”を夢見て画材一式持ち込んでやってくる画家たちも少なくなかったようです。ご存知、イギリスはロマン主義を代表する風景画の鬼才J・M・W・ターナーも、ロランに大いに影響を受けた画家の一人で、湖水に来ています。
ともあれ、湖水地方は観光名所として広く知られるようになるんですね。すると、都市から湖水地方に魅せられて移住する富豪も出てくるんです。そうした輩が、本来の自然と調和した伝統的な営みや風景と相入れない土地開発に乗り出して、この地の景観美を破壊してしまうことに抗議の声が上がります。さらに、産業革命へとシフトしてゆく時代の怒涛の只中で、湖水の中心まで鉄道が敷かれる計画が持ち上がるのです。
これに真っ向から抗ったのが、湖水地方に生まれ、その人生の大半を湖水で過ごしたロマン派詩人ウィリアム・ワーズワースでした。
ロマン派桂冠詩人ワーズワースと現代日本人美術家の不思議なご縁
湖水地方でワーズワースの名を知らない者はいません。いや、”湖水地方=ワーズワース”としても過言でないほど、イギリスではワーズワースは湖水地方の代名詞として知られています。そのワーズワースが世を去るまで38年余を過ごした邸宅ライダル・マウントとは、ここ湖水地方に移り住んだ当初から不思議なご縁があり、以来ずっと関係が続いています。
しかし、ここで告白しなければなりません。ワーズワースの名前に聞き覚えはあったものの、その詩人としての人生や人となりなど、あの頃は実のところあまりよく知らなかった!
ライダル・マウントの元館長ピーター・エルキントンさん、そして奥様で副館長を務めたマリアンさんとの出会いが、この後長くワーズワースと関わってゆく契機となるわけです。こうして、ライダル・マウントの門を叩いたのをきっかけに、ボクはロマン派を代表する桂冠詩人ワーズワースとの出会いを果たしたのでした。
たとえば、中学で憶えた高村光太郎の『道程』の冒頭「僕の前に道はない 僕の後ろに道はできる」。鮮烈な印象とともにボクの心に刻まれている、美しい詩。そんなふうに、“I Wandered Lonely as a Cloud”で始まるワーズワースの詩『水仙(Daffodils)』は、イギリス人なら誰でも暗唱してきた馴染みの詩なのだそう。
2015年は、その『水仙』の最終稿が出版されて200周年を迎える記念の年でした。その前年、またひょっこりライダル・マウントを訪ねる機会がありました。それまでに二度、ライダル・マウントでコラボレーションをした経験のある詩人の友人と一緒に訪ねたんですが、ピーターさんにお茶をご馳走になった折に、何かアートプロジェクトはできないかと相談を持ちかけたわけです。
そこで話題に上ったのが、『水仙』最終稿出版200周年!プロジェクト決行の話はすぐにまとまり、ピーターさんがプロジェクト名として『水仙』冒頭の“I Wandered…”を提案。皆で大きく頷き、かくしてアートプロジェクト『I Wandered…』がスタートした次第なのです。
イギリスはまだ肌寒いとはいえ春の兆しが感じられる今日この頃。いよいよ水仙の季節も間近に迫ってきました。
さて、次回は本アートプロジェクト『I Wandered…』実現にまつわるこぼれ話や七転八倒の裏話など、創作の現場をご紹介したいと思います。どうぞお楽しみに!
註1:Cecilia Powell, Savage Grandeur and Noblest Thoughts, Wordsworth Trust, 2010, P.2
註2:同上書, P.8