イギリス映画談 ~レストランの厨房は沸騰しているか?~
『ボイリング・ポイント/沸騰』

7月15日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国公開

オーナーシェフのアンディと副料理長のカーリー
©MMXX Ascendant Films Limited

イギリスはおいしかった?

かつてイギリスの食事は美味しくないと言われていた。1991年には林望著の「イギリスはおいしい」という書物が大ヒット。書名はあくまで皮肉で、総ての野菜はグダグダになるまでゆでられ、更に塩が極端に使われず、薄味(あるいは無味?)という弱点が暴露された。
35年ほど前、海外へ行くパッケージツアーの企画をしていたころの常識で言えば、同じ西ヨーロッパでも美味しい料理で有名なフランス、イタリアは勿論のこと、パエリアやイベリコ豚のスペインやビールと共にムール貝のベルギー、ビールとソーセージのドイツさえも料理に関してはイギリスより上と言われていた。イギリスのツアーでは中華料理かロースビーフばかりが無難という観点から選ばれていたのである。時にインド料理も加えられたが。

イギリスはおいしくなった!

このイメージが変わり始めたのは今世紀になってからだろうか?美味しい料理を出すレストランがどんどん増えだしたのだ。様々な要件が重なって、変化が進んだのだろうが、最も大きな要素は海外からのシェフやレストランが、ロンドンにやってくる金融関係者を目指して集まってきたのである。世界のレストランで食べなれている彼らにとって、ロンドンは仕事で訪れる必要があるとはいえ食べることに関しては今一つだった。それを解消しようとロンドンのレストラン改革が進んだのである。

左2人目から、パティシエのエミリー、フランスから来た新人コックのカミール、
コック見習のトニー、肉担当コックのフリーマン
©MMXX Ascendant Films Limited

この映画はレストランの厨房が舞台だが、英語という言葉を取り除き、フランス語とかイタリア語とかに変えたとしてもそれほど違和感はないのではないだろうか?もちろんシェフの人柄は別問題だが。それくらい厨房内の様子は他国のレストランと同じレベルになったと感じさせる。そのことだけでもイギリスのレストランが良くなったのだなあと感慨を覚えた。

”沸騰している映画”ワンショット撮影の技法で・・

今回「ボイリング・ポイント/沸騰」が映画の題名になっている。厨房の中、そしてシェフの頭の中が沸騰したように、テンパッていることを表している。

檄を飛ばすアンディ
©MMXX Ascendant Films Limited

映画を作ったフィリップ・バランティーニ監督はそれを観客に実感させるため、全編ワンショットで作っている。
ワンショット映画とは回り始めたカメラを一度も止めることなく、最後までそのカメラで映画を撮りきってしまうというものだ。1時間30分前後の映画を、まるで舞台のように通しで演じながら、舞台という固定した背景ではなく、動き回る人物に近づいたり離れたりしながらカメラも動き回るのである。どこかで俳優がとちったりすればそこで製作は中止。製作現場では誰もが集中し緊張して撮り進める。勿論事前の稽古を繰り返したうえで撮影に臨んでいる。バランティーニ監督はこの作品の前に、同じ内容、同じ主演者で短編でのワンショット作品を作っている。その作品の成功で、長編を望む声があり長編作品を作ることにしたようだ。ロンドンの実際の高級レストランを借り切り、撮影に臨んでいる。

これまでにもみられたワンショットで撮られた映画

今までにもワンショット映画は作られている。有名なのは1948年のアルフレッド・ヒッチコック作品「ロープ」だが、当時は当然フィルムの撮影で、フィルム1巻で撮影できる時間は10~15分であったため、編集でつなぎ方を工夫してワンショットに見せていたのである。

©All rights reserved by Static Phil

昔から長回し(一つのカメラを長く使う)で有名な監督は結構多くいた。フィルムで撮影する限り、フィルム1巻の長さに制限されるので10分程度ではあるが、監督がその部分を強調したいために長回しが使われたのだ。デジタルカメラが導入され時間制限は基本なくなった。2002年に製作されたアレクサンドル・ソクーロフの「エルミタージュ幻想」は約90分全編がワンショットで撮影されている。最近では2018年の「カメラを止めるな」が前半のゾンビ映画37分をワンショットで撮影していることで話題になった。

『ボイリング・ポイント/沸騰』という映画

沸騰しているオーナーシェフ・アンディを演じるのはスティーヴン・グレアム、1973年リヴァプール郊外の生まれの48歳。2000年の「スナッチ」トミー役で知られるようになるが、地味目の風貌のためか今まで主役の映画はなかった。「ギャング・オブ・ニューヨーク」「パブリック・エネミーズ」「パイレーツ・オブ・カリビアン シリーズ」などに出演している。実際のシェフに見えるほど今回のアンディ役は適役。シェフの動きに迷いがない。プライベートでは、この作品でパティシエを演じているハンナ・ウォルターズと結婚していて二人の子持ち。

アンディとライバルシェフのアリステア・スカイ、グルメ評論家サラ・サウ スワース
©MMXX Ascendant Films Limited

厨房だけでも9名がいて、更にホール・フロアには支配人のベスを含め5人がいてこの2つのセクション間でも戦いがある。更にクリスマスシーズンで満席のお客様の中にはライバルのシェフタレントやグルメ評論家など曲者もいる。これだけの空間を、時には外に出たりしながらカメラは一つで動き回るのである。それを上手く作品に仕上げるには、事前の稽古が重要だ。台詞を忘れたり、躓いたりしないためにも十分な稽古が必要だ。

共同オーナーの娘で支配人のベス
©MMXX Ascendant Films Limited

しっかりした稽古の上で沸騰する映画の熱さを楽しんでください。

『ボイリング・ポイント/沸騰』公式サイトhttps://www.cetera.co.jp/boilingpoint/


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海外パッケージツアーの企画・操配に携わった後、早めに退職。映画美学校で学び直してから15年、働いていた頃の年間100本から最近は年間500本を映画館で楽しむ...

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