イギリス映画談 ~イギリスの名優二人の見納め『2度目のはなればなれ』~
2024年10月11日(金)公開
マイケル・ケインとグレンダ・ジャクソンが50年ぶりに共演、しかも再び夫婦役という話題でイギリスでは多くの観客を集めた話題作。共に米アカデミー賞を2度受賞している二人は、映画製作時、89歳と86歳の主演となり、それぞれの最後の作品となっている。
実話から作られた老夫婦の物語
ビーチリゾートとして有名なブライトンが舞台。語学学校が多く、日本から英語研修に出かける人も多い。映画はビーチに面した街路を散策する老人から始まる。彼が帰ってきたのはザ・パインズと言うケアホーム。このケアホームは正確にはホヴにあり、映画の中でも後半にホヴと言う名前が出てくる。ブライトンはすぐ西隣にあるホヴと一緒になって、ブライトン・アンド・ホヴとして2000年にシティとして認められている。
帰ってきたのは皆からバーニーと呼ばれるバーナード、このホームに妻のレネと二人で入居している。レネは車いすが必要で、バーニーが押しながらの散歩にもよく出かけている。
時は2014年、街にはD-day70周年のバナーが目立っている。
2度目のノルマンディーに出かけたバーニー
第2次世界大戦のノルマンディー上陸作戦D-dayは1944年6月6日だった。イギリス兵として参戦したバーニーは、レネに勧められてフランス・ノルマンディーでの70周年記念式典に一人で出かけていく。ケアホームに報告すれば、90歳の一人旅は危ないと止められてしまうので、まるで逃亡者のように密かに出発した。
ノルマンディーへ向かう船上では、同年代の元イギリス兵アーサーとの出会いもあった。それぞれにつらい思い出もあった。戦死した兵士の墓が5000も並ぶバイユーの町に出かけ、一緒に戦った仲間の墓を訪ねた。その町ではドイツの元兵士との出会いもあった。
一人で秘密裏に出かけたバーニーは、90歳の一人旅として新聞やテレビで話題にされた、”偉大な逃亡者 The Great Escaper”と名付けられて。
バーニーを演じるのはマイケル・ケイン、「国際諜報局」で有名に
マイケル・ケインと言う名前を覚えたのは「国際諜報局」という映画だった。1965年の作品は、その3年前に始まった007シリーズの対抗作品のように現れた。作家イアン・フレミングが作り出した最も有名な秘密諜報員ジェームズ・ボンド。人を殺すのも許される007のコードナンバーを持ち、派手なアクションで人気を博した。無名だったショーン・コネリーは一躍スターに。
1965年は007映画の人気が絶頂に達していた頃だった。そこに登場した「国際諜報局」はレン・デイトンのスパイ小説を原作としている。007に対抗して労働者階級のサラリーマンスパイが、東西冷戦下、敵の見えない謀略に巻き込まれるのを描いていた。小説はスパイ自身が語る物語という形式で、名前が与えられていなかった。関係者が集まって映画用に「できるだけ間抜けに聞こえる名前」にしようと考えていた時、マイケル・ケインが口を滑らせたハリーが採用され、ハリー・パーマーと言う名前に決定した。実はこの映画を製作したのは、007映画を製作していたプロデューサーの一人、ハリー・サルツマンだった。当然その場にいた彼は、へこみつつも受け入れたという。
ハリー・パーマーシリーズは好評で、全3作が製作され、クールでシニカルなそのキャラクターはマイケル・ケインと言う俳優の特徴ともなった。30年後、テレビ用に2作のハリー・パーマー物が製作された時も、マイケル・ケインが主演したという。
様々に活躍した現在91歳のマイケル
この後、マイケル・ケインは様々な作品に出演する。
「アルフィー」「探偵スルース」「ハンナとその姉妹」「サイダーハウス・ルール」「ダークナイト三部作」「インセプション」「インターステラー」などWikipediaには123本の作品名がリストアップされている。
映画デビューは1956年、ハリー・パーマーにたどり着くまで10年近い下積み時代があった。そのためか、彼はスケジュールと出演料の都合さえあえば、作品を選ばない主義と言う。
米アカデミー賞では「ハンナとその姉妹」と「サイダーハウス・ルール」で2度の助演男優賞を受賞している。
21世紀になってからは、2005年の「バッドマンビギンズ」から2020年の「テネット」まで7作のクリストファー・ノーラン監督作品に出演したことが記憶に新しい。
レネを演じるのはグレンダ・ジャクソン、1970年前後には衝撃だった
ケン・ラッセル監督の「恋する女たち」は日本では1970年5月に公開された。D・H・ローレンスの原作をエネルギッシュに映画化、そのパワーに驚かされた。男同士の裸のレスリングが話題になったが、それ以上に作り手の熱さを感じた。1920年イギリス・ミッドランズ地方の鉱山町を舞台に2組の男女が描かれる。一組は結婚し、もう一組は破綻する。
破綻する方の女性を演じたのがグレンダ・ジャクソンと言う女優だった。女性は芸術家であり、芸術には残虐性が必要だとし、彼女を愛する男を愚弄する。男は雪山をさまよい死んでしまう。この強い女性を演じたグレンダは米アカデミー賞の主演女優賞を受賞した。
ケン・ラッセルは翌年、「恋人たちの曲/悲愴」で再びグレンダ・ジャクソンを起用、”天下の悪妻”とも言われるチャイコフスキーの妻を演じさせている。
さらに、ジョン・シュレシンジャー監督の「日曜日は別れの時」に出演、ゲイの関係を含む男二人、女1人の三角関係が描かれる中で、経営コンサルタントの女性を演じていた。
この3作で、グレンダ・ジャクソンはその演技力を見せつけたと言っていいだろう。ロンドンの王立演劇学校で学び、10年近くを舞台出演で磨いてきた。「恋する女たち」でのアカデミー賞受賞時には既に33歳、若くもなく、特に美貌と言えるわけではない女優としては、驚くほどの衝撃を見る者に与えた。
政治家への転身と復帰したグレンダ
1973年には「ウィークエンド・ラブ」で再び米アカデミー主演女優賞を受賞している。悪くはないが、このロマンティックコメディ作品での主演女優賞は、多分前3作でのショックが尾を引いていたのではないかという気もする。
1992年には女優を引退し、政界入り。労働党から庶民院議員に立候補し当選する。ブレア内閣では運輸政務次官を務めたが、2015年には政界を引退し、舞台にカムバック、ブロードウェーでトニー賞演劇主演女優賞を受賞している。
2023年6月15日、病気療養中に死去。この「2度目のはなればなれ」が遺作となった。
若い頃から変わらない風貌のマイケル・ケインと、70年代衝撃時と変わらないきつい性格のグレンダ・ジャクソン共演の最新作。お楽しみください。