「イギリス人ほど庭いじりの好きな国民は他にいない」と呼ばれるほど、イギリス国民は園芸好きである。イングリッシュガーデンの基本形は、自然との共存を取り入れることだ。時代とともに一般の人や庶民にも広がり、その結果イギリスの人々を庭師にしていったのであろう。
コッツウォルズの村々の道端や家の回りは、いつも季節の花が咲き誇っている。それも人工的ではなく自然に咲いたように作られていた。18世紀に始まった風景庭園、イギリス独自の様式美で発展してきた庭園を写真とともにご紹介しよう。
英国で最も美しい庭と言われる
『バーンズリー・ハウス』(Barnsley House)
バイブリー村から走る道路、B4425線に乗って車で10分程の所にバーンズーリー村がある。目印は特にないので見過ごしてしまう程の小さな村である。この村にはイギリス皇室の庭園を手掛けた庭園デザイナー、ローズマリー・ヴェアリーの庭園がある。
牧師館であったバーンズリー・ハウスに、のちにイギリスを代表するガーデナーとなるローズマリー夫人が移ってきたのが1951年。当時ローズマリー夫婦はガーデニングのことは一般的な知識しか知らなかったそうで、まったく独学でガーデン作りを試行錯誤くり返しながら、ほかのガーデニングを研究に行きながら知識を広げていった。
1988年には「ガーデン・オブ・ザイヤー」にバーンズリー・ハウスが選ばれた。
ローズマリー夫人は、TVや雑誌にもしばしば登場しガーデニングの講義など行っていた。バーンズリー・ハウス庭園は住まいの建物を中心に作られ、ノット・ガーデンやいちいの木で作られた花壇、ハーブガーデン、パーテアの花壇、ギリシャ風建物のサマーハウス、などさまざまな工夫がなされている。
最も美しい場所は「ラバーナムウォーク」であろう。6月の初旬に訪れると、黄色のラバーナムの花のトンネルで彩られていた。このラバーナムの花はキングサリ(金鎖)とも呼ばれ、ヨーロッパでは、このようにアーチ状に仕立てるメジャーな花だそうだ。
道の両側に咲くアリウムの紫と頭の上を覆うラバーナムの黄色が絶妙のコントラストで、納得のいく一枚を撮影することができた。
現在「バーンズリー・ハウス」はホテルとなり、残念ながら一般には公開されていない。ホテルの宿泊者かレストランの利用者のみがガーデンに入ることが出来るので、ご注意いただきたい。
》Barnsley House
公式サイト:https://www.barnsleyhouse.com/
20世紀を代表するイングリッシュガーデン
『ヒドコート・マナー・ガーデン』(Hidcote Manor Garden)
ヒドコート・マナー・ハウスは、コッツウォルズの北にあるチッピング・カムデンの街から車で10分ほどの丘にある。20世紀のイギリスのガーデニングは、この庭園を語らずしては始まらないとまで言われた、イギリスを代表するイングリッシュガーデンのひとつだ。
18世紀までの庭園は整然とした形にはまった庭園が主流だったが、19世紀になってくると自然主義の思想が芽生え自由な発想が庭園にも求められるようになった。造園技術の中から最も適した素材を並び変えて、屋外の庭園のイメージを変えてしまった。生け垣で囲った多くの庭園、次々と変わっていくデザイン、さまざまな形の木々の連続にため息がでるほどだ。
最も有名になった芝生の廊下は、長さ150mもありロングウオォークと呼ばれている。初めて見る者を魔法のような仕掛けで楽しませてくれる庭園は圧巻である。これらは過去の伝統の中から優れた様式だけを組み合わせて、多くの空間を作ることによって小宇宙を作り上げた。
それぞれの庭園はフランス様式から素朴なイギリスの田舎風の要素など入り交じり、来る人を飽きささない。それがイギリスを代表するヒドコート・マナー・ハウスである。
イギリス陸軍軍人であった、ローレンス・ジョンストンが退役後の1907年ヒドコート・マナー・ハウスに移り住んでから、このガーデンの造園が始まった。彼はアメリカ人家族のもと、1871年にパリで生まれ、イギリスのケンブリッジ大学を卒業している。36歳の時に広大な土地ヒドコート・マナーを購入し、じっくりと40年以上かけて造り上げた。イタリア、フランス、イギリスの過去の素晴らしい庭園を研究して「ジョンストンの庭」を造り上げたが、彼は記録をいっさい残さなかった。そのため後日ヒドコートの庭園を本当に彼が作ったのか信用されないこともあったそうだ。
1948年にナショナル・トラストが保護するようになり、現在は年間13万人以上の観光客が訪れるようになっている。
》Hidcote Manor Garden
公式サイト:https://www.nationaltrust.org.uk/hidcote
女性三代にわたる手造りの庭園
『キフツゲート・コート』(Kiftsgate Court Gardens)
ロンドンからバスに乗り、一日に4箇所回るガーデニングツアーに参加した。大型の観光バスで日本人の観光客も数人が一緒だった。車だとチッピング・カムデンからなだらかな坂道を登ってくると標識があるので分かりやすい。先に紹介したヒドコート・マナー・ガーデンと、道路を挟んで向かいに位置している。
高台にあるため、はるか遠くの村々まで眺めることができた。周りの景色も春になると菜の花がいっせいに咲きほこり、緑の牧草との共演で美しいコントラストを見せてくれた。
ヒドコート・マナーより10年ほど遅れて庭園造りが始まった。女性親子三世代による庭園造りの物語は、根気と研究の連続だった。最初はヘザー・ミュア夫婦が1918年に購入し、庭の石などを取り除く作業から始まったそうだ。何年もかけて木を植え、バラを植え素晴らしい庭に作り変えていった。現在では、イギリスでもバラのコレクションでは屈指の庭園と言われている。残念ながら、わたしが訪問したときはシーズンではなく、バラを写真におさめることが出来なかった。
ミュア夫人は、となりのヒドコート・マナーのジョンストンからアドバイスを受けながら、独自の庭園づくりを目指した。そのミュアの娘のダイアニー・ビニーも、母と同じように花々を美しく作る作業が好きで研究熱心だった。
ここの庭園で最も印象的なのは三日月型をしたプールがあることだ。自然の環境の中に人工的なプールは馴染まないと思われるが、不思議なことにキフツゲート・コートのシンボルで、まったく違和感を覚えなかった。これらの庭園を三代目のアン・チャンバーが現在は引き継いでいる。三日月型プールの斜面にはベンチがあり、そこから前方を眺めると、はるか彼方にコツウォルズの田園風景が拡がりスケールの雄大さに魅了される。
》Kiftsgate Court Gardens
公式サイト:http://www.kiftsgate.co.uk/
コッツウォルズ丘陵を背景にした庭園
『スノーヒルマナー&ガーデン』(Snowshill Manor and Garden)
コッツウォルズの宝石と呼ばれるブロードウェイの村から5キロほど南に、スノーヒルと呼ばれるなだらかな丘が連なった場所にその村はある。小さな村でひっそりとして、冬は大変雪が多いところだ。これといった特徴はないが教会が村の中央にあり、そこを取り巻くように蜂蜜色の家々が建つ静かな趣のある村だ。
スノーヒル村からアップダウンの続く道をいくつも越えて行くと、ナショナル・トラストが管理するスノーヒルマナー&ガーデンがある。1700年代に建てられたチューダー様式の建物で、丘の頂上に建つマナーハウスからは最高の景色が展開していた。
チャールズ・パジェット・ウェイドが売りに出されていたスノーヒルマナーを購入したのが1919年。芸術家で造園にも興味が深かった彼によって造りなおされていった。特に庭園の設計におけるウェイドの世界観は、庭も家の一部であると考えていた。
庭園は自然の丘の景色を取り入れて、庭から見えるコッツウォルズの景色が永遠に続いていくように感じられる。受け付けの入り口からなだらかな斜面を登り、館の方に歩いていくと庭園が段々畑のように造られていることがわかる。一番高い場所にある館から見る風景は、自然と一体となり造られた庭園のおかげで見事な風景が織りなされていた。
広大な敷地を散策すると、庭園にはりんごや梨の木が栽培された果樹園、鳩小屋や用具入れの家屋も建ち、庭園を中心に池やベンチ、時計台などが配置されていた。ウェイドは青色が好きだったそうで、敷地内には青で塗られたベンチや構造物をいくつか見かけた。不思議な色使い、見飽きない景色にいつまでも時のたつのを忘れてしまいそうだ。
また、ウェイドはアンティークの収集家としても力を発揮した。マナーハウスには、世界中から集めたコレクションが整然とならんでいた。時計、自転車、さまざまな時代の武器、楽器、人形、驚いたのは、いずれも国宝級のものと思われる日本の戦国時代の武将の兜鎧が30体近くも並んでいた。
ウェイドは、これだけ集めた収集物や、庭園、館のすべてを、あっさり1938年ナショナル・トラストに寄付している。
はるか彼方のコッツウォルズ丘陵の風景を眺めながらのカフェでのひとときは 気持ちがゆったりとなる。
》Snowshill Manor and Garden
公式サイト:https://www.nationaltrust.org.uk/snowshill-manor-and-garden
幾多の時代の波を超えてきた
『スードリー城ガーデン』(Sudeley Castle & Gardens)
ブロードウェイと大きな街チェルトナム間を、B4632線の道路が走っている。ウィンチクームは、この中間点にありコッツウォルズでは西の方に位置している。家並みも蜂蜜色の石垣や白壁など様々な形を見ることができる、遥か昔サクソン人の王国であった。
この街のはずれに1,000年の時を刻むチューダー様式のスードリー城がある。
15世紀終わりから続くチューダー王朝、その中で宗教改革を行ったヘンリー8世(在位1509-47)の6番目で最後の妻、キャサリン・パーがヘンリー8世の死後、紆余曲折を経てロンドンから移り住んだ城である。
その後破壊され約200年もの間、野ざらしのままであったが、現在は修復され 生前キャサリンが慈しんだ庭園も「王妃の庭」として一般公開されている。
スードリー城は、城全体がコの字形に造られて重厚な雰囲気に包まれている。庭師の手入れが良いのか、一年中スードリー城の庭園には色とりどりの花々が咲き誇っている。ここには8つの庭園があり、ノットガーデン (結び目模様の庭)で有名な150年の歴史を誇る「クインーズ・ガーデン」はイチイの木で囲まれていた。他にもローズ.ガーデン、ラベンダー、高く盛り上がったチャペル・ガーデンなど多岐にわたっている。城の東側にも幾何学模様に仕切られて、イスラム庭園のような仕上がりに手入れの良さを感じさせた。
庭園は、1996年「ガーデン・オブ・ザイヤー賞」に輝いた。常に歴史に翻弄されながら、危うい時代を潜り抜け、今は何ごとも無かったように美しい城と庭園が横たわっている。
》Sudeley Castle & Gardens
公式サイト:https://sudeleycastle.co.uk/
おまけ ~帰路に見かけた田舎のイベント~
ウィンチクームの街の帰り道に小さな村スタンウエイを目指して走っている時、刈り終わったばかりの広い農場に次々と大勢の人々が吸い込まれ行く様子が目に飛び込んできた。
大きなテントが沢山張られた出店の横を、歴史を感じる蒸気自動車が煙りを上げていた。会場では秋に収穫された野菜や果物、野外で楽しむ製品、伝統あるタペストリー、大きなオルゴールなど、蒸気と音楽で賑やかだった。
祭の一番の目玉はスチームで動く蒸気自動車。古き良き時代のイギリスの産業革命時代の息吹を感じる蒸気自動車はダイナミックである。秋の収穫が一段落して村中から楽しみにやってきたようで、日本の田舎の秋祭りの様な風情を感じた。
【行き先が選べる】最大3か所へ! コッツウォルズ地方のイングリッシュガーデンめぐり
催行:旅ロンド(フジサントラベル)
今回ご紹介したコッツウォルズのイングリッシュガーデン5カ所を含む、6カ所の庭園から3カ所を選んで巡る(ロンドン発着)専用車1日観光です。
イギリス旅行できるようになりましたら、ぜひご利用ください。