ロンドンを訪れるとテムズ川沿いを撮影することが多い。
ふと源流は何処に有るのだろうと思い、テムズ川を源流から河口までをテーマに撮影することにした。
前回のテムズ川源流からの記事に引き続き、今回はウィンザーから河口のテムズ・バリアーまでをご案内します。
ウィンザー 「イギリス王室の城」
ロンドンの西方約34キロのテムズ川南岸にあり、王室の居城として世界最大規模で最古の白亜のウィンザー城は、今でもイギリス皇室の居城として使われている。
征服王として呼ばれることが多いウィリアム1世(イングランド王)は、テムズ川が輸送の大動脈の役割を果たしていたので、眼下に見下ろす事ができる高台に着目し1070年木造の砦を築いた。
1165年にはヘンリー2世がラウンド・タワー(円形の塔)石造りの城に作り変えた。19世紀までに後継者によって、東側、南側、外壁、北側と改修され現在のような巨大な城となった。1992年に火事で多くの部屋が焼けたが、5年の歳月をかけて修復が行われた。
ウィンザー城では日曜日以外の毎日11時になると衛兵交代の儀式が行われている。
現在のエリザベス女王は、幼いときからウィンザー城が大好きで、時間が許す限りここで過ごされている。ラウンド・タワーの上にロイヤル・スタンダードの旗があるときは滞在されている目印である。
ウィンザーにはロングウォークと呼ばれる約5キロに渡る遊歩道がある。ここから眺めるウィンザー城は素晴らしい景色である。女王もお忍びで訪れたことがあるそうだ。ウィンザー城は高台にあるので城内にいるときは高さを感じないが、一歩外に出ると見上げるような城の高さである。
イングランドの名門、男子全寮制のパブリックスクール(私立)「イートン校」(Eton College)が、ここウィンザーの近く、テムズ川を挟んだ対岸に位置するバークシャー州イートンにある。
1440年、ヘンリー6世によって建てられた「イートン校」は生徒の間にも階級制度があり、ハリーポッター映画のモデルにもなった最高学年の上位成績者から選ばれる監督生が存在している。多くの英首相が輩出されており、ウィリアム王子やヘンリー王子の母校である。
ハンプトン・コート宮殿 「英国のベルサイユ宮殿」
英国でも美しいと言われるハンプトン・コート宮殿は、1514年から7年の歳月をかけ当時聖職者であったカーディ・トマス・ウルジーによって、その基礎が造られた。ルネッサンス様式の建物は、美しい庭園からの眺めとテムズ川が一体となり、ゆったりと流れる美しい景色を見ることができることから「英国のベルサイユ宮殿」と呼ばれている。
ヨーロッパでも優雅な美しい王宮として知名度があったハンプトン・コート宮殿は、ウィンザー城と同じように、数世紀にわたり英国国王に愛用された。中でもヘンリー8世は6人の王妃と優雅な生活を過ごした。ヘンリー王は宮殿に、大ホールとロイヤル・テニス・コートを付け加えた。大ホールは、イギリスの君主によって作られたものとしては中世最後のものである。その後オランダの造園家ダニエル・マロによって派手な花壇を特徴とするオランダ様式に造られた。
17世になるとウィリアム3世とメアリー2世が、建築家クリストファー・レンを捜し出し 拡張工事を依頼しした結果、チューダー様式とゴシック様式がミックスした美しい建物になった。
ハンプトン・コートでは、ウィリアムリー8世にまつわる幽霊伝説、ヘンリー8世自身や、ヘンリー8世の王妃ジェーン・シーモア妃、キャサリン・ハワード妃の幽霊が宮殿に現れるという報告もある。
ロンドンのテムズ川 「ウエストミンスター橋」
テムズ川もロンドンまで流れてくると川幅も約250mになる。
ウエストミンスター橋の側には国会議事堂、ビッグ・ベン、ウエストミンスター寺院が建っている。国会議事堂はヘンリー8世の時代まで王宮として使用されたが、1529年からは国会議事堂となった。現在の姿になったのはチャールズ・バリーによってゴシック様式がとりいれられた。1840年に工事は始まり1859年に完成した。全長300mの多くの窓と尖塔は何処から見ても美しい建物である。
ビッグ・ベンは難工事のため一度は鐘が砕けちってしまう事故も起きた。綿密な調査をしてようやく地上64mの鐘楼に引き上げられた。1859年7月11日ビッグ・ベンの鐘の音がロンドンの街に響きわたった。
ウエストミンスター寺院はイングランド国教教会。最乾式や王室の結婚式など王室の行事が行われる。政治家、英国の王や女王などが埋葬されている。1987年ユネスコの世界遺産に登録された。
タワー・ブリッジ 「テムズ川最後の橋」
「テムズ・ヘッドからの長い道のりで、テムズ川は様々なものを見てきた、しかしこんな奇妙なものは(タワー・ブリッジ)、今まで一度も見たことがない」とタワー・ブリッジが完成した1984年、ロンドン市民の間でこのような歌が流行ったという。源流のテムズ・ヘッドから300キロを経てテムズ川の最後の橋がタワー・ブリッジである。ロンドンが発展すると、大型船が入港する時のために跳ね橋を作る必要性があった。ゴシック様式の2基の尖塔を持つ、豪華で優美な跳ね橋の長さは244m,尖塔の高さは65mある。ロンドンの観光名所で最も人気のあるタワー・ブリッジは1886年に建設がはじまり1894年に開通した。高い位置に作られた歩行者用の橋はガラス張りの展望台になっている。橋の開閉の動力は、現在石油と電力になっている。タワー・ブリッジとロンドン塔へゆく地下鉄の駅は同じ駅で下車する。
ロンドン塔は約1,000年の歴史がある。ノルマンデイー公ウィリアムがヘイスティングスの戦いでイギリスを征し、1070年にロンドン市民に権威を示すためや自分たちを守るために城塞化した。ロンドン塔の内部では、イギリスの宝物をすぐ近くで見ることが出来る。また牢獄として使用され歴史に名を残した人々の幽霊も出るそう。ロンドン塔はイギリス市民にも非常に人気があるロンドンの世界遺産の一つである。
グリニッジ 「世界標準時間ゼロ度」の港町
グリニッジはグレーター・ロンドン南東部の町でグリニッジ・ロンドン特別地区のテムズ川南に位置している。
「マリタイム・グリニッジ」の名前で世界遺産に登録され、世界の海を支配した大英帝国の発展に貢献した港町でもある。子午線が通り世界の時間を決めたグリニッジ天文台があることは有名で、北緯51°経度0°に位置しグリニッジ標準時として世界の時間になっている。
王立海軍学校の建物は壮麗で重厚感のある建築様式で、壁画や天井画などは目を見張るものがある。トラファルガー海戦の英雄ネルソン提督の遺体が1806年に埋葬され、その後セントポール大聖堂に運ばれた。国立海事博物館はイギリス航海歴史や海の体験など展示してあり、ネルソン提督が撃たれた軍服も展示してある。
王立天文台は1675年チャールズ2世が建造した。グリニッジ・パークの高台に建てられ、経度を測定するための道具や図書が展示してある。1884年の国際会議で、グリニッジに子午線が引かれ、世界の標準時間に定められた。
施設内に両足で跨いで子午線の上をまたぐと、東半球と西半球の2つを跨いだ事になる。
グリニッジ駅の近くに19世紀の帆船カティー・サーク号が飾られている。当時最速の帆船でインドまで紅茶など貿易を行っていた。
テムズ・バリアー 「ロンドンを高潮から守る」
ロンドン市内はかって高潮や大洪水に定期的に脅かされ、また大勢の犠牲者も出た。ロンドン市内も水浸しになり悩みの種であった。ロンドン橋から13キロの地点にテムズ・バリアーが1974年から1982年に建設された。緊急時の洪水から街を守るため、川幅529メートルの間に7つのコンクリート製の台座が築かれ、その上に鋼鉄製の水門が置かれている。高潮や洪水の時、水門が水中から出てくる仕掛けになっている。水門の高さは約30mになり北海からの高潮を遮ることが出来る。
テムズ・バリアーの完成後は高潮の心配がなくなった。
太古の昔、イギリスはヨーロッパ大陸と陸続きだった。氷河期が終わり海面が上昇すると、イギリスは大陸から離れ島となった。近年の地球温暖化で水位の上昇がみられ、この先さらに上昇する水位を考えるとテムズ川の将来も懸念される。
テムズ川はイギリスの歴史と共に発展する運命共同体である。
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