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写真で旅するイギリス
~テムズ川・源流から河口まで~ Vol.1

テムズ川でボートの練習

1年中ボートの練習は行われている

ロンドンを訪れるとテムズ川沿いを撮影することが多い。
ふと源流は何処に有るのだろうと思い、テムズ川を源流から河口までをテーマに撮影することにした。

テムズ川の源流をもとめて

インターネットで源流の場所を探すと、拙著の「英国で一番美しい村々コッツウォルズ」執筆時に訪れたイングランド・グロスタシャーの街、コッツウォルズのサイレンセスター近くの村にあるらしいことが分かった。
コッツウォルズなら土地勘があるので探して見ようと調べていくうちに、ケンブル村の近くが源流とわかった。源流の名前は「テムズヘッド」。ケンブル村にあり宿泊することも可能な「テムズヘッド・イン」のパブを目指して村を訪ねることとした。

下流のテムズ・バリアーから294kmの距離にある、源流「テムズヘッド」

ケンブル村はロンドンより幹線道路M4からA429の沿線にある。目指すこの村は通りで過ぎてしまうほどの大きさで、何度か迷いながらもようやく村に到着した。観光地によくあるテムズ川の源流「テムズヘッド」を示す表示をさがしたが、あいにくどこにも見つけることができずにいた。
パブ『テムズヘッド・イン』(宿泊施設も併設) の表示を見つけたときは少し安堵した。

この施設では「テムズヘッド」の事を尋ねる人が多いのか、案内図が用意されていた。早速この案内図に沿って「テムズヘッド」を目指しフットパスを歩くことにするが、何処にも源流らしき景色はない。しばらくフットパスを進むと、遠くの雑木林の中に石碑が見えてきた。近づくと1メートル程の石碑と標識があり、石碑に「テムズ川の源流はここである」と刻まれていた。源泉らしく、湧き水があると思いこんでいたのでいささか拍子抜けした。

宿泊施設を兼ねたパブ『テムズヘッド・イン』
テムズ川の源流「テムズヘッド」水は何処にもない
ロンドンのテムズ・バリアー(下流の防潮水門)まで294km

サイレンセスター 「ローマ時代からの街」

「テムズヘッド」より約10キロにあるサイレンセスター。
ローマ軍が初めてイギリスに攻め入ったのは紀元前(BC)55年のこと。翌年の紀元前(BC)54年、ローマ軍はユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)を総司令官として侵攻を開始。訓練されたローマ軍は、当時ブリテン島に定住していたブリトン人を撃破し侵攻していく。その後、ローマ軍は母国の問題で引き返すことになるが、紀元(AD)43年皇帝クラウデイウスが大軍を率いてイングランドとウエールズを占領した。 (註)

ローマ軍は占領地にローマの文化を浸透させており、サイレンセスターもその一つで、今なお数多くのローマ時代の遺跡が残っている。そしてローマ軍が住む街としてコリニウムと呼ばれた。サイレンスターの郊外にはスケールの大きな闘技場が残り、街の中心地にはローマ時代の遺品を集めた「コリニウム博物館」がある。ここにはローマ時代の彫刻、モザイク、当時の生活用品が展示されている。街のあちこちにローマ時代の遺跡が残り、観光案内所に置かれている多くのパンフレットでも紹介されているので、ぜひ訪れてほしい街の一つである。

サイレンセスター街並み
ローマ時代の闘技場
ローマ時代のモザイク

レックレード 「テムズ川沿いの田園風景拡がる村」

「テムズヘッド」から約30キロにレックレードの村がある。
落ち着いた石造りで、コッツウォルズのはちみつ色の家並みが綺麗なこの村の近辺は、いくつかの支流がテムズ川に流れ込み川幅も15メートル程に広がっている。遠くからでも見える尖塔がシンボルシンボルの『セント・ロレンス教会』は、1470年に村の中心地区に建てられた。

テムズ川の上流には『セントジョンズロック』(水門)があり、1789年以来高低差の水面を調節してきた。
ロンドンと西方を繋ぐ交易の大動脈としての役割を果たしてきた レックレード。この周りは田園風景が広がり、多くの船が順番待ちでロックの近くで待機してにぎやかである。長さ35メートル幅4メートルの大きさの船が、ギリギリに水に入っていく様子は迫力がある。

セメント製で、上半身裸で筋骨たくましく、右手に櫂を持ったセメント造りのテムズ川の神様「父なるテムズ」の神像がロックの前に横たわっている。神像の前には供え物が置かれている。ヴィクトリア時代のラフェル・モンティの作品で、最初はテムズヘッドにあったが1974年からこのレッチレードに置かれている。テムズ川はレックレードから川幅も15mを超えて流れも早くなり河川の様相になる。

『セント・ロレンス教会』
『セントジョンズロック』(水門)

ケルムスコット 「ウィリアム・モリスが愛した村」

「モダンデザインの父」と呼ばれる芸術家ウィリアム・モリスは、オックスフォード大学時代から画家と建築家を目指した。
25歳でジェーン・バーデンと結婚。建築事務所を設立し、壁紙のデザイン、家具の設計、織物業、印刷業など仕事を次々とこなし、また「地上の楽園」など物語や詩の執筆、翻訳ものの出版も手掛けた。モリスの影響はアメリカ、ヨーロッパ、さらに日本にも広まった。イギリスを代表する詩人、画家、工芸科、社会主義運動家として多くの才能に恵まれ活躍したウィリアム・モリスは、1871年から生涯を終える1896年までケルムスコット・マナー・ハウスをコッツウォルズでの別荘とした。このマナーハウスでインスピレーションを得て、コッツウォルズの自然の移り変わりをもとに数々のデザインを起こしたと言われている。62歳で人生の幕を閉じるまでこの別荘で、数多くの文集や刺繍など書き上げて世間に発表している。現在、ケルムスコット・マナー・ハウスは『ウィリアム・モリス記念館』として、モリスが生前使用した様々なものを展示しすべてを当時のままに再現している。今日モリスとジェーンはケルムスコット教会の境内にひっそりと埋葬されている。
レックレードからケルムスコット・マナー・ハウスに向かう際には、近辺の平原で何も目印がないため道に迷うことがあり注意が必要だ。

ウィリアム・モリスの別荘「ケルムスコット・マナー・ハウス」
観光客で賑わう「ケルムスコット・マナー・ハウス」の庭

ウィットニー 「羊毛で栄えた街」

オックスフォードより19キロの距離にある街 、ウィットニーはコッツウォルズ地方の南の入り口である。
広大なコッツウォルズの牧草地で育った羊や羊毛、毛織物がテムズ川の水路や陸路を使ってロンドンまで運ばれている。1669年以来、羊毛の街として大いに栄え、質の高い毛布を作り続け皇室にも届けられている。
現在はオックスフォードのベッドタウンとなっており、街の中心地マーケット・プレスには面白い建物が残っている。
屋根が四辺形の切妻で柱が13本もある羊の取引所は、バタークロスと呼ばれている。 屋根の上には1683年に四角の時計が取り付けられ、日時計もあり今でも時を刻む珍しい時計である。50年前まで羊の取引が行われていた。
街中のウィンラッシュ川沿いに建つブランケット・ウイバーズ・ホールは、1721年に建築され、ウィットニーで作られた毛布に公認のスタンプを付けて販売していた。この建物の屋根には短信だけの珍しい時計が飾られている。18世紀に制作されたシングル・ハンド・クロックで、15分おきに動く仕掛けになっている。(註)
産業革命後、羊毛産業は他の街でも盛んになり、ウィットニーでの羊毛産業は閉鎖に追い込まれることが多くなり、現在では当時をしのばせる古い建物が残っている。

バタークロスの建物とタウンホール
ブランケット・ホール
ウィットニーの街中を流れるウィンラッシュ川

オックスフォード 「イギリス最古の大学の街」

オックスフォードの歴史の始まりは伝説の王女、フリーデスウイードが紀元700年頃修道院を建立したことに始まる。その後アングロサクソン人の集落になり、街に発展していった。12世紀頃から、学者たちがこの街で修道院や教会などを教室として利用し学問を教え始めた。
オックスフォードは立地条件が良かったので、徐々に教師や学生が集って来るようになる。今日のような学問の街へと発展し、現在も知的活動の中心地として評価は高い。オックスフォード大学とは、およそ40のカレッジの総称である。サッチャーやブレアなどイギリスの首相、インドのガンジー首相、ウイリアムス・モリス、ルイス・キャロルなど数多くの政治家や文学者など輩出してきた。なかでも最大で、大聖堂とカレッジを一つにしたのが、1546年にヘンリー8世によって創設された『クライスト・チャーチ』。トム・タワーと呼ばれる塔からは、毎晩9時5分になると鐘が101回鳴らされる。
街の南側にはロンドンに繋がっているテムズ川が流れている。この川はその昔、浅瀬(Ford)の上を人間が歩いて渡ることが出来たほどの小さな川だった。牛(OX)を渡すのによく使われたため、現在のオックスフォード(OXFORD)という地名になった。現在川幅は20mほどの穏やかな流れである。朝日を浴びながらボートの練習をしている大学生がコックスと呼ばれる舵取り役のリーダーの掛け声に合わせて、ボートは川を滑るように進んでいく。男性だけでなく女性のチームもある。

ラドクリフ・カメラとオールソールズ・カレッジ
テムズ川で早朝の練習をする大学生たち

マーロー 「テムズの宝石」

テムズ川沿いのマーローには、ロンドンのパディントン駅から約1時間で到着する。
町のシンボルである「マーロー・ブリッジ」は1829年から1832年にかけて建設された吊り橋。背の高い尖塔が美しいオール・セイント教会(All Saints Church)。町のメインストリートは一つしかなく、清潔で古い町並みは人々に愛されている印象を受ける。マーローはイングランドで美しい町として幾度となく選ばれ、「テムズの宝石」と呼ばれている。
橋のすぐ側に『コンプリート・アングラー・ホテル』がある。釣り好きな人はご存知かもしれないが、「釣魚大全」アイザック・ウォルトン(1593―1683)は、釣りを愛し、様々な知識人と親交があり、伝記文学でも多大な功績を残した。この著書の大半を、ウォルトンはマーローにある古い旅籠(コンプリート・アングラー)で書き上げられた。1653年ロンドンで刊行されて以来300年に渡って人気があり、日本の釣り好きな作家、幸田露伴、永井荷風、井吹鱒二、開高健などにも読まれていた。本の内容は釣技、魚の生態、釣魚風俗、料理方法、釣りの哲学まで深めた著書である。町をゆったりと流れるテムズ川沿いのフットパスを歩けば、水鳥が泳ぎ、気持ちが落ち着き穏やかになる。

マーロー・ブリッジ
コンプリート・アングラー・ホテルとオール・セイント教会
美しいテムズ川沿いのマーローの町並み

次回は、ウィンザーからスタートしロンドン、ロンドンの先のテムズ・バリアまでをご案内します。

(註)出典:岩崎公平著「テムズ河物語」より 

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