イングランドの南部から北部まで
イングランドの最南端に近い町から、最北端の町まで、イングランドを縦断して歩く男性ハロルド・フライの物語。
地理的にもう少し詳しく言えば、イングランドの南西部に延びるコーンウォール半島の真ん中に位置するデボン州、その南部にあるサウス・ハムズから、イングランドの最北端の街ベリック・アポン・ツイードまで歩いていくというお話だ。
映画を監督したヘティ・マクドナルドの言葉によれば、ハロルドが歩いた道のりをチェックしようと、撮影監督のケイト・マッカラとサウス・ハムズ地区にあるキングスブリッジからドライブしながら北上し、風景を確かめたと言う。映画ではサウス・ハムズとしか出てきていないが、詳しくはキングスブリッジかもしれない。
ベリック・アポン・ツイードはイングランド東海岸最北端の町で通称ベリック、映画ではこの通称で呼ばれている。正式名の通り、ツイード川の河口にある町は、スコットランドとの国境から約4㎞南に位置していて、スコットランドのエディンバラからは東南東に約90㎞にある。
Googleマップでキングスブリッジからベリックまでの距離を測ると、454マイル(730㎞弱)と出る。映画でのルートでは寄っている街のためもう少し距離が伸び、約800kmとなっているようだ。日本で言えば東京から広島までの距離に近い。
何故ハロルドはこんな距離を歩くのか?
定年退職をしたハロルドは妻との二人暮らしをしている。その彼に昔ビール工場で一緒に働いていた女性クイーニーから手紙が届く。
病のためにホスピスにいる彼女からのお別れの手紙だった。”どうぞお大事に”と通り一遍の手紙を書いてポストに投函しようとしたが、一緒に楽しく働いた彼女のことを考えるとせめて郵便局まで行って出そうと歩いていく。
その途中に寄ったガソリンスタンドの売店の女性に、友達がガンなんだと話すと、彼女は信じる心が大事、信じる心で叔母のがんが良くなったと返事をしてきた。
この言葉に感じ入ったハロルドは、その場でホスピスに電話をし、そこまで歩いていくから会える時まで生きていてくれとクイーニーに伝えるように頼んでしまう。こうして、旅支度することもなく、普通の革靴で、着の身着のままで歩き始める。妻に告げることもなく、えっ、こんなのありと思ってしまう。勿論奥さんには、少し後には連絡するのだが…。
思い立ったら…イギリスの現実が見える?
イギリス人はこんなに風に行動する人たちなんだったっけとちょっと驚く。日本でも思い立ったが吉日とは言いますが、800㎞も歩くからにはそれなりの準備が必要では?この映画を見ていると、所々に驚くようなことが描かれている。
彼の行動だけではない。彼の行動に結構冷たい妻モーリーン、失望させてしまったため家を出ていった一人息子のディヴィッドのイメージも、心優しい作品かと思っていたこの映画に合ってはいないような気がする。旅の途中で倒れてしまったハロルドを助けてくれた女性マルティナは、スロバキアから移住してきたが持っている医師免許を活かすこともできず、清掃しか仕事がない現実も描かれる。こんな風に、今現在のイギリスの厳しい現実も見せながらも、ハロルドの歩きは続く。
女性が活躍してできた映画
この映画の製作面では、監督のヘティ・マクドナルド、撮影のケイト・マッカラムに加え、原作・脚本の担当はレイチェル・ジョイスと女性が活躍している。
1962年生まれのジョイスは女優としてキャリアをスタートしたが、やがてラジオドラマの脚本を書き始めた。2012年にはこの映画の原作となった「ハロルド・フライの思いもよらない巡礼の旅」(この題名で日本でも出版された)で作家としてデビュー、今回の映画で映画の脚本家としてもデビューしている。初小説は2012年のマン・ブッカー賞の候補になり受賞はしなかったものの、その年のナショナル・ブック・アワード新人賞を受賞している。小説の2作目は「ハロルド・フライを待ちながら クウィーニー・ヘネシーの愛の歌」で日本でも出版されている。
なお「ハロルド・フライの思いもよらない巡礼の旅」はこの映画の公開に合わせ、「ハロルド・フライのまさかの旅立ち」と、映画と同じ題名に変更され5月15日に文庫が発売されるという。
ハロルドを演じたのはジム・ブロードベント
両親ともに芸術家でアマチュア役者の子として、1949年5月に生まれたジム・ブロードベントは今年75歳になる。俳優としてのキャリアは舞台から始まりロイヤル・ナショナル・シアターやロイヤル・シェークスピア・カンパニーなどの舞台に立ってきた。映画には1978年以来出演しているが、当然ながら小さな役が多く、それほど目立つ役者ではなかった。それが変わったのは2001年に公開された2つの作品。その一つは「ムーラン・ルージュ」で英アカデミー賞助演男優賞を、もう一つの「アイリス」で米アカデミー賞助演男優賞を受賞している。特に「アイリス」ではジュディ・デンチが演じる認知症を患う女性作家の夫として献身的に介護する役を地味に演じていた。これでアカデミー賞など多くの賞を受賞して、映画俳優としての自信を掴んだものと思われる。
無謀と思われても、時には思ったことをすぐに始めることにも意味はあると教えられた。