思い出のバルモラル城
ご即位70周年をお祝いされて3か月後の9月8日、エリザベス女王は96歳で逝去されました。亡くなられたバルモラル城は毎年夏の休暇を過ごされていた王室の私邸です。ここではエリザベス女王は、完全にプライベートの貴重な時間を過ごされたようです。ご逝去された後で、王室関係者のインタビューの中にあった言葉です。「女王がバルモラル城に到着されると、王冠を門に残し、中では完全に妻、母、祖母、曾祖母になられていた」と。敷地内では、エジンバラ公がバーベキューを焼き、女王様がお皿を片付けると言った一般の人と同じような暮らしをされていたようです。
多くのイギリス人にとって、人生でただ一人の君主エリザベス女王
多くのイギリス人にとって彼女は人生でただ一人の君主であり、それぞれの人の人生の一部を共有された方と言っても言い過ぎではないでしょう。もちろん私のこれまでの生涯でも彼女はイギリスで唯一の君主であり、彼女の姿をテレビや新聞で見かけるたびに安堵感を持ったものです。彼女が私自身の母親と同じ年であったこともあり、女王と言う以外に特別な親しみをもっていたのかもしれません。
ウェストミンスター・ホールに安置された女王の棺に弔問する人たちは25万人を超え、最後には列を打ち切らなければならないほどでした。並ぶ時間も最高8キロ、待ち時間も最高24時間にのぼったという報道がありました。
国民とのふれあいを大切にされたエリザベス女王
生前から’I have to be seen to be believed.’(見てもらわなければ、私の存在を信じてもらえない)とおっしゃっていて、国民との接触を大切にされ、着るものも遠くからでも彼女の存在がわかるようにとカラフルな洋服を好まれたとか。年3回のガーデンパーティや叙勲式などで実際に女王とお会いした人、また遠くから眺めた人は国民の3分の1という説もあります。
ロング・ウォークでの女王との出会い
私が女王様をお見かけした唯一の経験はウィンザー城のロング・ウォークでした。観光でご案内していたお客様と一緒に、お城に続く真っすぐのこの道を散歩していた時のことです。後ろから白髪の紳士に声をかけられました。「もう少しすると女王がお出ましになるので、ここで待っていたら?」
20分くらい待って、そろそろあきらめかけていたころに女王のプライベートの門が開きます。ところが出て来た車は、ナンバープレートのついていない女王専用のロールスロイスではありません。それはグリーンのジャガーでした。
少しがっかりしてカメラをしまい込もうとしているところに、私たちの前をジャガーが通りすぎます。ふと見ると、なんとそのジャガーに乗っていらっしゃったのが女王様!しかも、ご自分で運転していらっしゃるではないですか。「女王様は運転免許を持っていらっしゃる!」と変なことに感動してしまいました。
(後で知ったのは、第二次大戦中、陸軍の女子国防軍時代に運転免許を取得されたとか)
後で、お城のスタッフに聴いたところ、当時近くに住んでいらっしゃった女王の母君であるクイーン・マザーのところへ時々アフタヌーン・ティーにいらっしゃっていたとか。
因みに私たちに女王のことを知らせてくださった白髪の紳士は一誰だったのか?いまだにわかりません。
そのロング・ウォークを今回は埋葬場所である聖ジョージ・チャペルに向かわれる時に通られました。
お城では女王のペットのコーギー犬もお出迎えしていました。主を失ったコーギー犬が人々の涙を誘ったものです。
エリザベス女王と、その父ジョージ6世
1926年にお生まれになった時は、彼女が将来イギリスの女王になると予想した人はいませんでした。女王の父君はジョージ5世の次男でしたが、後を継いだエドワード8世がシンプソン夫人との結婚が認められずに退位し、突然ジョージ6世として即位されたのですから。「気の進まない王」と言われたのも理解できます。映画「王様のスピーチ」でもわかるように、ジョージ6世には言語障害がありました。
国民も新しい王が、国王としての勤めが果たせるかどうかの心配もありました。ところが想像もつかない大きな苦労をされた結果国民に信頼される素晴らしい王になり、第二次大戦という困難な時代を国民と共に乗り切られました。そして将来の女王となるエリザベスに、人として、君主としての教育を自らの行いを通してされたのではないでしょうか。
エリザベス女王のご冥福をお祈りするとともに、新国王チャールズ3世の時代が平和な時代でありますよう願うところです。