UKWalker

紅茶は第二次世界大戦の秘密武器だった

戦時中のお茶を提供するキッチンカーと、お茶を飲む兵士たち

イギリス人にとって“お茶”はとっても大切なもの、文化のひとつであることは、皆さんご存知のことと思います。今回は、少し時代をさかのぼって第二次世界大戦の歴史からひも解く紅茶のお話しをお届けします。

イギリスの歴史を変えた”お茶”

イギリス人のお茶好きは知られていますが、お茶は単に嗜好品だけではなく、イギリスの歴史を変えたと言っても言い過ぎではありません。植民地であったアメリカがボストンの茶会事件をきっかけに1776年にイギリスから独立したのも、そして中国とのアヘン戦争で勝利したイギリスが香港を植民地にし、1997年に中国に返還されたことで大英帝国は終止符を打ったこと・・・

第二次世界大戦での配給食/レーション

そして第二次世界大戦で果たしたお茶の役割を考えた時、ますますお茶の偉大な力を感じます。まず、戦争に備えて食料の確保です。これは戦時中の一人分の配給の写真です。バター、チーズ、砂糖、ベーコンと共に一週間に56.5グラムのお茶が配給となりました。これは一人の人が一日に3杯飲む茶葉の量でした。

週一人分の配給

イギリス政府が戦時中に取った戦略は・・・

このポスターは最近、ロンドンのお土産屋などで、マグカップやTシャツに印刷されていますので、ご覧になった方もいらっしゃるでしょう。1939年にドイツ軍の侵攻に備えて政府が作り上げたプロパガンダのひとつです。”Keep Calm and Carry On”(落ち着いて、やるべきことを続けて行おう!)という意味です。パニックに陥ることを一番恐れるイギリス政府、そしてイギリス人らしいプロパガンダだと思いませんか?

結果的には公表されず、近年見つかったポスター

そして戦争が始まり、激戦の真っただ中の1942年、ヨーロッパの国々が次々にドイツに占領されて、イギリスも経済が尽きてきました。そんな状況下で、政府は兵士、国民のモラルを消沈させないことを考えなければいけませんでした。そこで政府が取った手段は?

答えはお茶です。つまり、日本以外の国にあるお茶を全部買い占めるという手段にとりかかったのです。お茶はインドのアッサムやセイロン(現在のスリランカ)、アフリカからイギリスに持ち込まれました。正に「落ち着いてお茶でも飲みましょう!」と言ったところでしょうか。

(このポスターは正式なものではありません)

そしてお茶は戦場に届けられました。この写真は、1942年、北アフリカの砂漠でお茶を飲む兵士です。

「兵士のドリンク、それはお茶」と書かれたトラックの前で

弾薬より多くの量のお茶を政府は購入、”お茶はイギリスの秘密兵器”

さて日本以外の世界中にあるお茶を買い占めたとなると、その量は相当なものになったはずです。それは戦時中に政府が買ったもののトップ5に入っっていたとされ、重量からすると砲弾や爆薬より多かったということですから驚きです。歴史家の中には「お茶はイギリスの秘密武器であった」と言っている人もいるくらいです。

結果的には戦争を勝利に導いたのですから、「お茶はイギリス人を団結させる」と信じた政府の考えは間違っていなかったのです。戦争時にイギリス兵士、国民に必要だったのは前向きな気持ちと団結・・・・それをお茶が満たしてくれたのです。

実は団結以外にもお茶の役目がありました。戦地に送られる水は油の入っていた缶に入れて運ばれたので、その水は油の匂いが染みついていたのです。それをお茶にすることによって匂いが薄れたことです。そして、もう一つ。アルコールを飲んで酔って戦うことがなくなったとか!

イギリス兵とアメリカ兵が一緒にお茶を飲んでいるところ

食糧投下”フード・ドロップ”でオランダを支援

オランダがドイツ軍に占領された時、イギリス空軍は7万5,000個の食糧投下、”フード・ドロップ”(food drop)を上空からオランダに向けて投下しました。フード・ドロップの中には、食料と共にお茶とイギリス人からのメッセージが入っていたのです。「オランダは蘇る、頑張れ!」

お茶が入った”food drop”を歓迎するオランダの人たち、1945年

お茶はイギリスの歴史、文化の形成に重要な小道具

お茶は子供たちにも人気でした。

ベルギーからイギリスに疎開してきた子供たちのお茶の時間、1940年
ギリシャ領クレタ島における戦いでドイツ軍と戦うイギリス/連合軍隊のお茶の時間、1941年
エジプトで負傷兵のためのティーパーティ
捕虜にお茶を配るイギリス兵、1944年

お茶がいかにイギリス人にとって大切かはドイツ政府もよく知っていました。そのためにロンドンのミンスィング・レインはドイツ軍による容赦ない空襲を受けました。そこは「世界のお茶のトレード・センター」と呼ばれるほどお茶関係の建物が多かったところで、お茶のオークション場もありました。

ところが空襲に遭ってもお茶がなくなることはなく、ミンスィング・レインは1950年代まで世界のお茶の3分の1が運ばれる場所として残ったのです。

イギリス人にとって、お茶は単に嗜好品だけではなくイギリスの歴史、文化の形成には重要な小道具だったことは間違いありません。

モバイルバージョンを終了