渡英の決意
兼高かおるさんに憧れた子ども時代。学生の頃から、いつかは海外で働き、地元の人たちの中に入り込んで暮らすことを夢見ていました。当時は、英語圏で暮らすイメージはなく、日本で得られる情報が少ない土地で暮らしてみたいと思っていました。
卒業後に選んだ職場は旅行会社。秘境のツアーを作りたいと入社した私の配属先は、国内旅行部でした。想定外の事態に最初は戸惑いましたが、ものは考えようです。国内にも秘境はあります。観光素材を見つけてそれを紹介することの面白さも、知ることができました。
多忙ながらも充実した日々を過ごし、3年が経ちました。資金も貯まったし、海外に出るのなら今のタイミングだ!と心を決めました。さて、どこへ行こう。何をしよう。その時目に留まったのが、イギリスでのビジネスコース留学とインターンシップを組み合わせたプログラムでした。1年の前半は語学力と英語を使ったビジネススキルの習得、後半は現地の企業でインターンをして、キャリアアップに繋げるというものでした。もし、現地で就労ビザが得られれば、もう少し長く滞在できるかもしれない、という密かな企みもありました。
さて、無事に英国に渡り、半年間の留学生活も終盤。観光促進に関わる団体に狙いを定めて、リサーチをしたり、履歴書を送ったりしていました。そんな折、湖水地方のとある観光促進団体の存在を知ります。観光局、ナショナルトラスト、ホテル、アトラクション、船会社などをメンバーとするその団体に、インターンとして関わることが決まりました。そして、湖水地方へ引っ越しです。イギリスでの社会人生活が、のどかな田園風景の中で始まりました。
湖水地方で社会人生活スタート
湖水地方と聞いて、ピーターラビットを思い出す人も多いかもしれません。ロンドンから列車で北へ約3時間半。壮大な山々の裾野に、波のようにうねる丘陵地。氷河によって形成された谷には、たくさんの美しい湖が点在しています。
インターンの間は、観光促進団体のメンバーであった、南湖水地方の観光局、ダブ・コテージ、湖水地方に5つのホテルを所有するホテルグループ、の3か所を回って、マーケティングの仕事を手伝いながら、全体の会合にも出席していました。
ダブ・コテージは、詩人ワーズワースが暮らした家で、「水仙」を初めとする多くの傑作が生まれた場所です。そこでは、日本語ガイドもしていました。天井が低く、薄暗い室内。小さく質素でありながら、200年前の生活の知恵が詰まった家です。ワーズワースが「家庭内の小さな山」と呼んだ庭も、素朴で心落ち着く場所でした。週に一度のこのタイムトリップを、私はとても気に入っていました。
インターン期間終了と同時に、ホテルグループから正式に採用されました。そして、ホテルでの仕事と並行して、団体の活動にも引き続き携われることになりました。ロンドンや東京でのプロモーション活動、取材旅行や視察旅行のコーディネートやアテンドの機会も多くありました。
ホテルグループでは、主にヘッドオフィスで、日本との橋渡し的な役割を担っていました。また、日本語のパンフレットやホームページ作成の他、ホテルに出て、日本人のお客様をご案内することもありました。当時、5つのホテルには、外国人スタッフが多く働いていて、しばらくは、彼らと同じ寮に住んでいました。スペイン語、アフリカーンス語など、様々な言語の渦に飲み込まれる寮での生活には、思い出も多くあります。
イギリスの同僚
観光促進団体のメンバーは、知的で真面目な観光部長さんや、ロマンティックな詩の朗読が十八番の館長さん、エレガントなふるまいのホテル経営者さん、アーティスティックなアトラクションのマネージャーさん、いつもまとめ役のマーケティング部長さん、などなど。当時20名ほどいた主要メンバーは、まるでピーターラビットの絵本のキャラクターのようにバラエティに富んでいました。
一方で、みなに共通していると感じるところもありました。それは、いつもリラックスしているように見えるところ。それを見ている私も、気忙しい気持ちが消えて行きました。もちろん田舎ならではのゆっくりとした時間が流れていることも大きいのでしょうが、忙しい雰囲気を出すことは、決してかっこいいことではないのだと。日本で、忙しそうにしていることに慣れていた私が、学ぶべき部分でした。ちなみに、ジョークと子どものようないたずらが大好きな点に関しては、彼らも私もいい勝負だったと思います。
湖水地方での日常生活
みなさん、ウィンダミア湖をご存知ですか?イングランド最大の自然湖で、湖水地方の観光の中心です。私は当初、このウィンダミア湖のほとりにある寮に住んでいました。
寮の裏は牧草地。春には、子羊の鳴き声で目が覚めます。ホテルのオフィスは同じ敷地内にあるので、毎日徒歩通勤でした。雨上がりの朝、濃い霧が立ち込めていたかと思うと、急に日が差して、湖、花、山、牧草地、全てのものがたちまち鮮やかな色をまといます。そして、人間も、先ほどよりにこやかな表情になり、心なしかジョークのキレも良くなった気がします。人間も自然の一部ですね。この目まぐるしく変わる天気は「湖水地方の一日には四季がある」という言葉によく表現されていると思います。
ランチのサンドイッチを食べ終えると、オフィスの裏から丘の上まで続くフットパスを散歩します。夕方は、ウィンダミア湖に突き出た桟橋の先端で、上下左右360度の夕焼けを楽しみます。高い建物や電線に邪魔されることのない広い空の下、影絵のような山並みが連なり、足元の湖は空と同じ色に染まります。燃えるようなオレンジ色一色の日もあれば、パステルカラーのピンクとブルーのグラデーションの日も。一日として見逃したくないと思うほど、夕焼けは素晴らしいものでした。
独特な景観 ~スレートの石垣~
湖水地方の自然は、手つかずの自然ではありません。牧畜を営むために、700年、800年もの昔から人間によって手が加えられ、常に手入れされてきた自然です。計画的に木が伐採され、斜面の土が流れ出ないように水はけが調整され、牧草地を区切る石垣や柵が作られました。私が湖水地方の中で一番心を惹かれたもの。それがこの石垣です。石垣の材料となるスレートと呼ばれる石は地元の山から切り出されるもので、湖水地方の家々の壁や床にも使われてきました。牧草地の縫い目のように見える灰色の石垣は、青空よりも曇り空の方が、相性が良いように思います。
石垣は、膠を使わずに積み上げられるため「ドライストーンウォール」と呼ばれています。強度と美しさを兼ね備えた石垣を作る技法は、ファーマーの間で代々受け継がれてきたもので、何百年もの間現役を貫いている苔むした石垣の前では、足を止めずにはいられません。文人や芸術家の環境保護運動によって湖水地方が開発から免れ、美しい姿を今に留めるに至った歴史はとても興味深く、学ぶことの多いものです。それと同時に、その何百年も前から続く、牧畜の日々の営みによって、この田園風景が作り上げられていることも、ぜひ知っておきたいと思います。
終わりに ~日本でのいまの生活~
今は日本に暮らし、海外からのゲストをお迎えする立場で仕事をしていますが、日本の各地方にも、それぞれの長年の生活文化から生み出された独特の景観があります。それを外国の方に紹介できることは、素敵なことだなと思います。湖水地方では、牧草地の中を通るフットパスがたくさんあります。そこを歩く人はみな「お邪魔します」という謙虚な気持ちを持って、牧草地のゲートの鍵を、忘れずに掛けるのです。美しい観光地も、そこに暮らす人々の生活の場であり、仕事の場であるのだと、湖水地方の暮らしが教えてくれました。