東京2020オリンピックの開幕まで秒読みとなったいま、日本ではいつもの興奮とは一味違う雰囲気の中で選手たちは着々と準備を始めているようですね。
今日はオリンピックとイギリスの深い関係についてお話ししたいと思います。古代オリンピックが紀元前776年にギリシャで始まったことはさておき、近代オリンピックが実はイギリスが発祥地だったということをご存じですか?
そして近代オリンピックより古いオリンピックが、現在でもイギリスで毎年行われていること。
その上、パラリンピックもイギリスが発祥と聞けば、なんだか全てが嘘っぽく聞こえるかもしれません。
でもそれは全て事実なのです。
近代オリンピックの父、クーベルタン男爵
近代オリンピックの父と呼ばれるフランスのクーベルタン男爵は、イギリスのパブリックスクールの、心身ともに鍛える教育に興味を持っていました。(ここでいうイギリスのパブリックスクールは、日本語訳の公立校ではなくイギリスの私立校、しかもトップ10%を構成するまさにエリート校です)
それは1815年のワーテルローの戦いを勝利に導いたウェリントン将軍の言葉「ワーテルローの戦いの勝利はイートン校の運動場で決まった」という言葉に出会ったからです。イートン校とは15世紀にヘンリー6世によって創立され、現在でも多くの上流階級の男子が学ぶパブリックスクールです。
このワーテルローの戦いで、ナポレオンが最終的に失脚しました。そこでクーベルタン男爵はラグビー校(パブリックスクールでラグビー発祥の地)などを見学するためにイギリスを訪問します。
マッチ・ウェンロック・オリンピアン・ゲーム
一方イギリスのシュロプシャー州にある小さな町、マッチ・ウェンロックではすでにウィリアム・ペニー・ブルックス医師が、長い間階級社会が確立していたイギリスで、特に労働者階級の人たちのための慈善事業を始めていました。
ブルックス医師は、階級に関係なく全ての人たちの教育が大切であることを訴え、教育授業を行ったり、図書館も作りました。
ブルックス医師はまた運動を奨励し、体育を学校教育に取り入れ競技会を開いて優秀な人は人々の前でその功績をたたえる事こそ、労働者階級の人たちに希望を持たせ、心身の向上に役立つと考えていました。そこで1850年に実現したのがウェンロック・オリンピアン・ゲーム(Wenlock Olympian Games)です。
ウェンロック・オリンピアン・ゲームに影響を受けたクーベルタン男爵
クーベルタン男爵はイギリスを訪れた際にウェンロック・オリンピアン・ゲームを見学するためにマッチ・ウェンロックを訪問し、ブルックス医師に会いました。そこでインスピレーションを受けたことにより、後に近代オリンピックの開催が実現したのでした。1896年のことです。
ウェンロック・オリンピアン・ゲームは今でも続いていています。(2021年はパンデミックのために7月から9月に延期)
ウィリアム・ペニー・ブルックス医師の功績
近代オリンピックが開催される前の年に亡くなったブルックス医師の功績は計り知れないものがあります。ところが現在はナチスに共感し、「弱い者を助けるより、強いものを育てるのが大切」と考えたクーベルタン男爵の名は世界的に知れていても、労働者階級で恵まれない環境にあった人たちに希望を持たせることに尽力したウィリアム・ペニー・ブルックス医師の名が知れていないのは残念です。
イギリスのストーク・マンデヴィル病院で開催の競技大会が後にパラリンピックへ
一方、パラリンピックですが、発祥地はイギリスのストーク・マンデヴィル病院です。第二次世界大戦で脊髄を損傷した人たちのリハビリには運動が効果的であると提唱したのが、ドイツから亡命したユダヤ系の医師ルードヴィヒ・グットマンでした。
彼は1948年にストーク・マンデヴィル競技大会を開催し、これがのちにパラリンピックとなったのです。「失ったものを数えるより、残されたものを最大限に生かしなさい」というグットマン医師の言葉は有名です。
ロンドンのオリンピックのマスコット
因みにロンドンオリンピックのマスコットであったウェンロックとマンデヴィルは近代オリンピックの発祥地であるマッチ・ウェンロックとパラリンピックの発祥地であるストーク・マンデヴィル病院に由来しています。
新型コロナウイルスの影響のため、ついにTOKYO2020オリンピックは無観客での開催となってしまいました。
とっても残念ですが、過去から継続してきたオリンピック精神のもと、実際に生で観戦することはできませんが、日本で開かれるオリンピック大会を応援しぜひ成功させたいものですね。
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