美術家の職業病
前回のポストからしばらくご無沙汰してしまいました。ここにお詫びいたします。実は、新たな作品の制作や新規プロジェクト立ち上げなど、いろいろと立て込んだ事情がありました。新作はこれまでの作品のうちでも大作のひとつで、制作に打ち込むあまり右腕を腱鞘炎で痛めてしまい、医師の勧めでしばらく療養していた次第なのです。
美術家というと自由気ままな職業とみなされがちなんですが、決してそうではありません。
たとえば、美術史家のキャロル・アームストロングが”印象主義のはぐれ者”と呼んだ(註1)エドガー・ドガは、長く眼を患って晩年には失明の憂き目にあったことが知られています。ドガの患った眼疾患はさまざま提唱されていて、当時の診断記録も残されています。しかし、同じ絵を描くことを生業とする者として、ボクが思うに、ドガの視力低下と失明に至る経過は研究と創作における眼の酷使と決して無縁ではなかった。いや、それが失明の主要因だったのではないかと思うんです。ボクも年々視力の低下には悩まされていますが、何より腕の腱鞘炎がボクの職業病といえるでしょうか。幼少時に左利きであったのを右利きに矯正されて以来、ボクは両手を使って絵を描くことができるんですが、細心の注意を要するきめ細かい線描プロセスには右手を、大胆に描き込む箇所には左手を主に使い分けて創作に取り組んでいます。けれど、2009年に右肘を痛めてからというもの、右腕はこれまでに3度、左腕は1度と、腱鞘炎はまさにボクの創作活動の天敵であり、文字どおり職業病なのです。
アートプロジェクト『I Wandered…』
さて、創作にまつわる裏話はこれくらいにして、いよいよ前回の続きを綴りたいと思います。
イギリスのロマン派を代表する桂冠詩人ウィリアム・ワーズワースの詩『水仙(Daffodils)』最終稿出版200周年を記念するアートプロジェクトの話がまとまったとはいえ、ではいったいどのようなプロジェクトとして発表できるのか。なにせ、歴史にその名を刻むワーズワース、そしてその代表作である『水仙』がテーマなのです。地元の現代詩人ギャリー・ボズウェルさんとのコラボレーションというかたちで発表するということ以外、展覧会の一切がボクの双肩にかかっていました。プロジェクトを提案したものの、しばらくしてその責任の重大さに圧倒され、ずいぶんと悩みながら野山を歩き回ったのを昨日のことのように覚えています。
ワーズワースは詩人としてはもちろん、熱心な園芸家でもありました。18,000m2に及ぶライダル・マウントの広大な庭園は、ワーズワースが自ら設計し造園したもので、現存するロマン派最古の庭園のひとつに数えられています。
そして、前回のポストでも触れましたが、湖水地方に近代化の波が押し寄せるのに抗った、最初期の環境運動家でもありました。本アートプロジェクトでは、そのような多彩な顔をもつワーズワースの素顔に迫り、かつ時代、文化、国語、国境を超えて、現在湖水地方を拠点に活動するボク自身との接点を模索してみたいと考えました。そこで、想像をたくましくした歴史画様式を避け、可能な限りワーズワースの日常が香るようなリアリティーを追求し、それを一連の作品として一堂に集めてみようと思い至ったのです。その中でも、とりわけ主要な作品として位置付けたいと当初から考えていたのが、ワーズワースの肖像でした。
ワーズワースの肖像
ところが、リサーチを始めてすぐに、これが一筋縄ではいかないことがわかるのです。ワーズワースが詩人として活動した時代にはまだ写真は発明されておらず、その晩年にようやく写真術が産声を上げ、わずかに入手できるものは劣化の激しい最晩年の詩人の写真のみ。『水仙』最終稿が出版された1815年、まだまだ壮健な詩人の様子をありありと伝えるにはあまりに乏しい資料と言わざるを得ませんでした。油彩画やドローイングも多々残されていますが、その多くが晩年の肖像画で、しかも45歳当時の詩人の相貌を如実に伝えていると判断できるものはごくわずか。プロジェクト立ち上げ早々から、ボクは暗礁に乗り上げてしまった!
しかし、すでに開催期間も決定していて、後に引けません。そこで、さらにリサーチを進めていくうちに、思わぬ画像に遭遇するのです。それは、国立肖像画美術館所蔵の、ワーズワースのライフマスクのアーカイブ画像でした。生きた人の顔を型取りして作るライフマスクは、写真のなかった当時、骨相学の進展とともに上流階級や文化人の間で流行したそう。そのワーズワースのライフマスクが、なんと1815年に制作されたことが判明した時には、思わず躍り上がりました!
こうして、この45歳当時の生きたワーズワースの相貌を如実に伝えるライフマスクの画像を基礎に、ボクはくだんの詩人の肖像画に着手したのです。ところが、ここでまた問題に直面することになります。ライフマスクは、その制作プロセス上、目を閉じていなければなりません。
そうです、ワーズワースも目を閉じたままなのです!ライフマスクを真横から写した画像もあり、詩人の大きな鉤鼻が特徴的であることがわかるんですが、そこからまぶたを開いた相貌のドローイングに乗り出しました。顔の骨格や筋肉のつくり、その上の皮膚の状態などさまざまな角度から検証し、当時の詩人の日常の営みを醸す域まで引き出せるよう努めたのですが、どうにもリアリティーに欠けるのです。
そんなある晩のこと、テレビで映画を観ていると、鼻筋が瓜二つと思われるような顔が目に飛び込んできたではありませんか。すぐさまその俳優の画像を検索、この鼻筋に間違いなしと納得し、できる限り多くの画像を資料として集めて、目頭と鉤鼻との連なり具合や影の落ち具合など研究を重ねました。こうして、目を開いたワーズワースの肖像を作り上げていった次第なのです。
作品『Daffodils (Diptych)』
肖像画は、二蓮画として完成させることが当初からの狙いでした。二連画様式は古代ギリシアより伝わり、キリスト教文化に取り入れられて、特に旅行用に携帯できるポータブルな二連祭壇画として重宝されたようです。これを、生と死、可視と不可視、肉体と霊魂などの二元論的解釈のもとに再構成してみたいと考えたんです。
こうして、詩人の肖像を上に、無限に広がる水仙の海を下に配置し、ワーズワースが水仙に込めた精神性の今日的な意義を追求した意欲作『Daffodils (Diptych)』が完成しました。作品は、200年ぶりにワーズワースの肖像画が制作されたということで話題を呼び、地元紙ばかりでなく主要全国紙のひとつインディペンデント紙にも大きく取り上げられました。
酷評とあっては面目丸つぶれで、美術家人生も危ぶまれることから、実は内心どうなることかと心配で仕方がなかったんですね。この朗報が届いた時には、安堵に胸を撫で下ろしました。こうして、アートプロジェクト『I Wandered…』は無事、好評のうちに開催の運びとなったのです。
さて次回は、伝統技法にこだわり、ユニークな試みを続けている木工アーティストの友人をご紹介します。ぜひお楽しみに!
註1:『印象派』第5章「舞踏術と科学 エドガー・ドガの描くパフォーマンス」P.179/ジェームズ・H・ルービン著/太田泰人訳/岩波書店